奇跡みたいな一か月
2012年 05月 11日
短くて、インストラクターの資格を取るまでの7か月間、
長ければ・・・そのまま就職してしまうから、当分帰ってこない。
私の希望では、ずっと帰ってこないで頑張って欲しい。
だからこの一か月、もう一緒にいられるのは最後なんだと思い、意識的にサクと一緒に過ごそうと決めて、そうしてきた。
買い物に誘い出し、料理を手伝わせ、一緒にテレビを見て語り合い、ショウコの引越しでもうんと働かせ、桜の並木を並んで歩き、箱根旅行に行き、映画を観て、風呂屋へ行き二人して指圧マッサージを受け・・・、そしてこの前の火曜日は、ディズニーシーに行ってきた。
ほんとにほんとに、楽しい一か月だった。
サクは小学生のうちから塾に通わせられ中学受験なんかさせられたもんだから、好き勝手に遊ぶ時間、家族と過ごす時間を十分に持てなかった。そうして入った中学は厳しい進学校だったから、数学の苦手なサクにはきつかった。
次第に勉強する意欲を失い、部活をサボりゲーセン通いを始め、3年生になってすぐに退学。
高校では良い友達に恵まれたものの、やはり何かに打ち込んだりはできず停滞したままに見えた。
大学へは入ったけれど、学業にはすぐに興味を失い、サークルでもおそらく深く関われる友人はできなかったようで、独りで繁華街をうろうろしているようだった。
嘘ばかりついて遊び歩いている息子が情けなくて私は、何度も感情的になって怒ったけど、サクはそのたびにキレて、汚い言葉を返してきたり、家具や壁を叩いたり蹴ったりして壊した。家出もした。
そして、いつもの小言がエスカレートして厳しいことを言ってしまったある日、サクはものすごく怖い目で、絞り出すような声で、言い返してきた。
「俺の小学生時代を返してよ」
・・・遂に言われてしまった、と思った。
もう、返してあげられない。ごめんなさい。
それだけ伝えて、黙ってしまった。
ごめん。母さん、ひどいことをした。
私はずっと、何をしているときも心の隅で、情けなくて哀しいサクの有り様を、自分のせいだ、自分が悪いと自分を責めてきた。ずっと苦しかった。
もちろん、サクもずっと苦しかったと思う。
でも最近になって、サクの傷、自分の傷(幼少期の古傷)をごまかさずに見られるようになり、どんなサクの状態も、そうさせてしまった自分のことも、みんな受け入れられるようになると、ほんとに楽になった。
サクへの愛情はまたひとしおになり、関係も大きく変わった。あたりまえだな、自分を受け入れずに嘆いている母親に、心を開くはずがなかった。
私はやっと、どんな有り様でも無条件に、サクが可愛いと思えるようになった。
そして、そうしたらサクも、自分で選んだ道へ進むことを宣言した。
このシンプルで幸福なところへ辿り着くまでに、どれだけ時間がかかってしまったんだろうと思う。
でも、あの時間があってこその今だ。
諦めて投げ出してしまわなくて、よかった。
このひと月のことは、どんなに充実させたって小学校時代の埋め合わせになんてならないことはわかってるけど、それでもいい。19歳のサクと一緒に過ごせる時間を持てて、ほんとによかった。
奇跡みたいに幸福な一か月だった。
穏やかで、たくさん笑ったこのひと月を、サクがずっと憶えていてくれて、ほんの少しでも糧にしてくれたらいいなと思う。
明日の晩、妹たち家族も一緒に、サクの壮行晩御飯会をする。
ショウコも駆けつけてくれる。
何を作って食べさせようかな・・・
子どもたちの好物をたくさん作ろう。
☆下の写真は、8日(火)のディズニーシー。
タワー・オブ・テラーで撮られた記念写真、を撮影したもの。
・・・サク、やってくれた。
リュックの中からこっそり、ボールペン2本を取り出して
落下直前に鼻に挿したんだそうだ。
_| ̄|○ アホだ。