ここにいるよとちゃんと伝える
2013年 03月 27日
何日か前、1年以上会っていなかったひとりの友人の顔がふと浮かびました。
彼女は5年前にご主人(40代半ば)が亡くなってから心身の調子を大きく崩し、この1年は鬱も強くて外へ出られずにいました。
辛うじて”この世でただ一人”だそうですが私とメールを何通か交わした以外は、ほんとに誰とも話をせず、外出も最小限に、過ごしてきたようでした。
昨秋メールをしてみたときの返事は
「私を忘れずにいてくれてありがとう。まだ誰かに会う勇気はないけれど、貴女にだけは会えそうな気もします。できれば見捨てずに、もう少し待っててもらえると嬉しいです」
というものでした。
それが数日前、近所を歩いていて桜の木を見上げたときふいに、あ、彼女が動き出した、と思って連絡してみたのですが、その勘は当たっていて、
彼女から来た返事には
「長らく引きこもっていましたが、年明けに、頑張って訪れたハローワークでパソコン教室へ通って資格を取ってみませんか?と勧められ、かなりの気合いを入れて通ってきたのですが、明日じつは試験を受けるのです。」
とありました。
そして一昨日、合格した旨と、よかったら直ぐにでも会ってほしい、というメールをもらったので、OK、直ぐに会いましょう、飲みましょう!と返し、昨日、久々にゆっくりとお酒を飲み、満開の桜並木の下を歩いて帰ってきたのでした。
「別に自分の仕事(美容師)には必要のない資格だったけど、何か一つ始めてみたかった、やり遂げてみたかった」と照れくさそうに笑う彼女の顔は、1年半前とは全然違い、晴れ晴れと輝いていました。
1年半前の彼女は、「もう何の希望もない。死んでしまいたい」と言っていたのです。
でも来月からまた、働き始めることになったそうです。ほんとに嬉しい報せです。
私はこの1年、彼女に「死んじゃだめだ」とは言わなかったけれど(…伝わってくる彼女の苦しさに圧倒されていました。ずっと酷い目に遭ってきたし、どこにも希望なんて見当たらなかったし、身内を含め、彼女を支える人は誰もいなかったからです。だから私は、死んでほしくはないけど、死にたい気持ちに寄り添うと、できれば生きていてほしい、としか言えませんでした…)、でも、「貴女がいなくなるのは寂しいし、私でよければ、いつだって近所にいてウロウロしてるんだから、何も遠慮せず話をして欲しい」ということは、継続的に伝えていました。
今日、メールをもらいました。
「私にもまだ、一緒に桜を見てくれる人がいるんだと思いました。
生きていれば、いいことあるんですね…
これまで、見捨てずにいてくれてありがとう。
一人じゃないんだよと言い続けてくれてありがとう。
私は今度こそ、生まれて初めて人のことを信じようと思いました。
これからもよろしくお願いします。」
そうありました。
よかった。
縁あって出会った人、大事な人を、私は独りにしたくない。
「人は皆ひとりだ」なんて言わない。
寂しくて凍り付いて動けなくなりながらも、懸命に生きてる心優しい人たちに
「じつはみんな繋がってるよね」、「だからだいじょうぶだよ」と言いたい。
私でよかったらここにいるからね、と、ちゃんと伝えたい。
何度でも。
誉められたもんじゃない毎日でも、情けなくても、
自分は独りなんかじゃないんだということをわかって
そして、泣いたり怒ったり笑ったりをちゃんとやりながら、
ただただ今を生きていくことができたら……
それで、それだけで、上出来なんだと思います。