「支えてくれていたのは息子のほう」と気づいたら…(前)
2013年 11月 28日
これは、もう5年以上前に、友人に頼まれてその知り合いの方の相談(次男の引きこもりと家庭内暴力について)に乗ったときの話です。
その方(2人の男の子のお母さん)は、とてもアカデミックでハイソな香りのするファミリーのお嫁さんで、とても立派な大きな家に三世代で住んでいました。
そのお宅のお子さんは二人とも小さい頃は「神童」と呼ばれた優秀な子だったようですが、次男のお子さんのほうが、中学校に入ってすぐから不登校になり、高校へは進まず、何年も引きこもっていました。
ひどい家庭内暴力もあり、彼女はもう、心底くたびれて途方に暮れている…とのことでした。
一族が揃って 超高学歴で立派過ぎる御職業…というお宅に嫁いだ彼女の、自分の二人の子どもを立派な大人に育て上げなければ…という責任感や、同居の舅・姑からの圧力は相当なものだったとのことです。
お話を聞きながら私は、引きこもって何年にもなるその次男くんが、暴力を振るわないようになり、元気に外へ出て活動できるようになるためには、お母さんがその子のことを、ちゃんと理解して、それから、”あること” に気づいて “ある言葉” を伝えられたらいいんじゃないかな…と思いました。
私が思った、お母さんが気づいていない ”あること” とは、
「自分一人が頑張ってきたわけではなくて、息子もまた、自分を守ろうとして必死で頑張ってきたのだ」
ということでした。
息子さんは、緊張した空気の支配する家庭で一生懸命生きてきて、でももう頑張れなくて苦しくて、ガス欠を起こした…(→不登校)。
そして不登校という形でお母さんに送っているメッセージが受け止めてもらえないから、腹立たしくて悲しくてやりきれない。自分にも苛立っている…(→家庭内暴力)。
私にはそんなふうに感じられたのです。
もちろんお母さんも頑張ってきましたが、息子さんもまた、大事なお母さんを守りたいから頑張ったのかもしれませんね、と私が言うと、彼女は暫く黙っていましたが、こう言いました。
「舅・姑、そして家を空けがちで仲がいいとは言えなかった主人からの圧力に懸命に耐えていたとき、息子もまた、私のために、一緒になって耐えていてくれたんですね…、息子はいつも私に寄り添って支えてくれていたのかも…」
そして彼女は、ある場面を急に思い出したと言って、泣きながら語ってくれました。
それは、
「姑に叱られて泣きながら台所に立ち、夕飯の支度をしていたら、5歳くらいだったかな、あの子はすっとやってきて、『お母さん、晩御飯なぁに?』と言うので、『お魚と大根を煮るのよ』と答えると、息子は、調理台の上など見えないはずなのに『美味しそうだね!』と言い、魚は好きではないはずなのに『僕、楽しみだなぁ』と言ったんです」
というお話でした。
彼女は、息子は小さい時からずっと、自分の味方であろうとし、そして守ろうとしてくれていたんだ、自分の方が助けられていたんだ、と気づき、たくさん泣かれたのです。
これが、気づけてよかった ”あること” でした。
(次に書く記事に続きます)