我が子とはいえ「他人」の人生
2014年 04月 24日
親、特に母親は、子どものことを心配します。
子どもはほんとに可愛くて、幸せになってほしいですから、当然です。
でも、小さいときはともかく、子どもが思春期になっても、成人しても、40歳になっても(!)何にせよずーっと心配している人、"心配が仕事" という人がいます。
たとえば、家から出なくなった、とか、正社員になろうとしない、とか、友だちが少ないようだ、とか、異性に興味がなくて結婚の気配がない、とか…
子どもの見せているそんな状態が、感情的に苦しい、というとき…。
そういうときは大抵、子どもの問題だと思って見ているものは子どもの問題ではなく、自分の問題が子どもに映っているのを見て、それで苦しがっているんですね。
子どもの方は、外へ出たいから助けてくれ、とは言っていないと思います。
正社員になりたい、とも、友だちがほしい、異性とつきあって結婚したい、だから応援してくれ、とも、言っていないと思います。
もちろん解決した方がよい問題もありますが、そうだとしてもそれは、その子ども本人の問題であって、親が肩代わりする話ではないはずです。
親は、自分の考え、自分の価値感で、あるいは自分の問題を見せられるのが苦しくて、余計なお世話をしているのですが、これに気づくのは、なかなか大変です。
相談室へ来られる「子どもに関する悩みを相談したい」というお母さんたちも、それについては、まずは否定なさいます。そんなふうに思うことはできません。
学校へ行くこと、正社員になって安定すること、幸せな結婚を望むことの、何が間違っているのでしょう、当たり前ではないですか?、と。
でも、対話を重ねてみるとわかってくるんですね、苦しみの原因は、子どもでなく自分の中にあった、ということが。
たとえば自分の経済的な不安を突き付けられる、とか、大学まで出してやれないと自分の劣等感を拭えない、とか、結婚(その人が考える"人生のゴール")へ導けないと、自分の罪悪感が喚起されてしまう、とか…
子どもの問題だ(子どもが改めればこの問題は解決する)と思っていたことは、実は子どもでなく自分の問題、課題だったのだ、
それは、自分のなかの癒されたがっている部分がザワつくせいだったのだ、
と、気づき始めるのです。
親が、子どもの "困った状態" を、その子の成長のために起こっていることなんだ、と捉えることができ、口出し、手出しは堪え、そして、自分は自分の問題、課題に取り組んでいこう、と思えるようになると……
子どもはびっくりするくらい変わります。
信じられないくらい、秘めていた力を発揮し始めます。
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これ、多数見てきましたから、自信を持って言えます(^-^)
愛する子どもとはいえ、他人。
他人の人生を代わりに生きることは出来ないのですから、お母さんは、子どもの心配をする代わりに、自分の人生を点検しましょう。
自分は自分を幸せにしてあげているか
やっぱり、これが基本で、これが究極なんですね☆