ショウコを育ててくれた女子校
2014年 05月 17日
今朝の『花子とアン』。
はな は自身の卒業式で、校長先生のスピーチの通訳をしました。
給費生ながら "英語だけは抜群にできた" はな でしたが、立派に大役を務めた姿には
「あの "ABCを書くのがやっと" だった幼い はな が大きゅうなって…(゚ーÅ)」
と、親の気持ちになって目頭を熱くしました。
そして、娘のショウコが通った中高一貫の女子校の、卒業式のことを思い出しました。
ショウコが通った女子校もキリスト教の学校で、3割が帰国子女、という学校でした。
ショウコの卒業式で卒業生代表として答辞を読んだ生徒も、入学直前までを海外で過ごしていたという帰国生だったのですが、日本人なのに入学時には日本語が不自由で 授業について行くのが大変だった、という子でした。卒業生代表を務めたくらいですから優秀で、日本で最難関の大学に合格していましたが。
彼女は答辞の中で、入学した時の不安、日本語の習得についてはものすごく努力した話、友だちや教師の温かい励ましが常にあったこと、活気のある明るい校風をとても愛していること、一生の糧をたくさん得たことへの感謝などを、それはそれは美しい日本語で、スピーチしてくれました。
生徒たちも私たち父兄も、その素晴らしい内容に感動して、誰もかれもが涙しましたっけ。
ドラマの はな ほどでは勿論ないですが、ショウコと親の私も、同級生の家庭("普通"に近いお家もありましたが、いろいろな意味でものすごく豊かなお家が多かったです)と自分たちの家の「違い」に衝撃を受けたものです。異文化体験でした。
「高雅な品性」とか「豊かな国際感覚」という教育方針を学校は掲げていましたが、それは独り歩きしていなくて、生徒みんなにそれを見ることができる……そんな環境でした。
庶民の私たちにとっては"垣間見た程度"とはいえ、彼女らの世界を「知った」こと、彼女らと「交わった」ことは、ショウコにとって大きな財産になっていると思います。
ショウコは大学を卒業して社会人3年目になるのですが、この春から勤め先を変え、移った病院で ものすごーく勉強しています、勤務時間外まで自主的に。
彼女を見ていると、6年間通ったあの女子校で培ったものが、しっかり根付いて育っていることを実感させられます。
ほんとに、学ぶときは集中してモーレツに学び、遊ぶときは幼子のように遊び……という、気持ちの良いエネルギーの使い方や広げ方を、うんと学びました。
そのおかげでショウコは、今ああしているのだと思います。
同窓生もみなそれぞれ精進し、活躍しているようですが、13歳から18歳までを毎日一緒に過ごした仲間との間には見えない絆があって、日本のどこか、世界のどこかで頑張ってる仲間のことを思い合い、励みにしてる気がします。なんだか羨ましい。
そんなわけで、今朝の『花子とアン』の校長先生の祝辞、
「The best is yet to be. (最上のものは、なお後に来たる)」
「今から何十年後かに、あなた方がこの学校生活を思い出して、あの時代が一番幸せだったと感じたなら、私はこの学校の教育が失敗だったと言わなければなりません」
「旅路の最後まで、希望と理想を持ち続け、進んでいくものでありますように」
は、心に沁みました☆