「助けてほしかった」
2014年 10月 10日
「職場でも友だちづきあいでも、人と違うところで怒って、おまえはおかしいと言われる。凄く激しく怒ってしまうのを、自分でも抑えられない」
とおっしゃいました。
つい先日も同僚から、
「普通、そこに怒るかよ」
「なんでそこまで怒っちゃうわけ?」
と、ほとほとうんざりした様子で同僚たちから言われた、ということです。
たしかに、
「自分の悪口を "言う人" でなく、その悪口を "黙って聞いている人" に、強い怒りが湧いてしまう」
「自分にだけ理不尽な指示を出してくる上司にでなく、それを聞いているはずなのに自分と一緒になって反論してくれない(加勢してくれない)同僚に激しい文句を言ってしまう」
というのは、ちょっと考えたら、変ですね。
悪口を言う人、理不尽な指示を出してくる上司のほうに対して怒るのが普通でしょうから。
Kさんは「自分でもさっぱり意味がわからない」と困惑されていましたが、そこには共通のこと、パターンがあります。
Kさんは明らかに「見てるだけで助けてくれない人」に怒ってしまう のです。
「そういうことではないですか?」
「それと似た思いを、小さい頃にしていたのではないですか?」
私が質問をするとKさんは、暫く黙った後、さめざめと泣き始めました。
ほんとに、堰を切ったように、とめどなく…でした。
「母親なんですね。僕は、暴力で支配していた父親でなく、助けてくれなかった母親に怒っていたんですね」
「祖父や父親から酷い目に遭わされていた僕は、母親に助けてほしかったんですね」
これもまた『投影』のお話でした。
「お母さん、助けて」を言えないまま大人になり、「見ているだけで助けてくれない他人」に出会うと、怒ってしまっていたのです。
その《怒り》の核は、悲しみなのでした。
でもKさんはもう、そのからくりに気づきました。
長年続いた苦しみだったでしょうが、気づいて、そして感じ切れば、必ず解放されます。
きっとじきに平気になると思います。
Kさんはまた、これから本格的にセラピーを始めたいとのこと。
私は、自分に出来る最高のものをもってサポートしていきたいと思います。
二人三脚の始まりです。
(※ Kさんのご許可をいただき、記事にさせていただきました)