叱ったり庇ったりしてほしかったな、と思う
2015年 05月 10日
小遣いは十分に渡しているのになぜでしょう・・・
というご相談を受けた昨日の夜、ベッドに入って突然、思い出したことがあります。
私は、5歳くらいのとき、遊びに行っていた親戚の家で、その家の従妹のオモチャを盗って母親のカバンに入れ、それを母に見つかったことがあるのです。
自分のカバンに、娘が盗んだオモチャを見つけた母がどうしたか・・・
私に何を言うでもなく、そのオモチャを誰にも見つからないようにこっそり、元々あった場所へ返しに行ったんですね。
それでお終いでした。
そのときの自分が、昨晩ひょっこり、現れたのです。
なぜか、その時の状況と心境が、ありありと浮かんだのでした。
私は、
「これ(盗んだオモチャ)はどうしたの?」と聞かれたかったんですね。
(だって、自分もカバンを持っていたのに、わざわざ母親のカバンに入れてるんですから「見つかりたかった」としか思えませんね)
そして、叱られたかった。
それから、「このオモチャが欲しいの?」と聞いてほしかったんですね。
親の気を引きたくて悪いことをする・・・。
「ストローク」はプラスのものでなく、マイナスのものだって、無いよりはずっといい・・・。
これ、今は当たり前のこととしてわかるわけですが、当時はわかりませんから、どうして自分は大して欲しくもなかったオモチャなんか盗んだんだろう・・・と己を強く恥じました。
同時に、「お母さんは私を引き受けてはくれない」ということは、5歳ながらに身に沁みた気がします。
実際、母は子どもだった私に起こるトラブルを、何であれ「私は知らない」で通し、庇ってくれることはありませんでした。
その経験は後に、「私を守ってくれる人はいない」「私は誰からも愛されない」に、歪んで拡大していったと思います。
先日みた映画『ビリギャル』で、主人公の母親は、呼び出された学校で先生に向かって「うちの子はいい子なんです!」と主張し、何があってもあなたの味方だ、と言っていました。
瀬戸内寂聴さんが、以前TVで
「自分は作文があまりにも上手だったために、小学校の先生に『これは誰かの文章を書き写した盗作では?』と言われことがある。それを母に言ったら母は自分の手を引っ張って職員室に乗り込んで、『うちの子は他人の文章盗んだりするような子じゃない!文才があるんだ!』と先生を怒鳴りつけた」
というエピソードを話されていたことがあります。
そういう話を見聞きする度に私は、そういうお母さんもいるのだなぁ・・・と少しだけ寂しい気持ちになります。
自分の中にいる「心細かった子ども時代の自分」を想うのですね・・・
今日は「母の日」です。
母の好きな色の花を贈りました。
いつものことながら反応薄かったですが(苦笑)、
まぁ嬉しそうでよかったです🌸