母から習わなかったこと、習ったこと
2016年 07月 10日
私の母は、東北の雪深いところで生まれ育ち、中学卒業と同時に奉公に出た・・・という “おしん” を地で行く人なのですが、忍耐強い、内気な人です。非社交的。
気持ちや考えを述べたり、大事な事を人に伝えたり・・・ということが苦手です(苦手というより、そもそもそういう習慣が全く無いです、搾取されまくっても文句を言わないタイプ 笑)。
だから私も小さい頃は、他人に思ったことを伝える とか、知らない人とも気楽に交流する とか、そんなことは “ありえないこと” 、とてつもなく難しいことだと思っていました。
「(親から)教わってないから知らないよ」「無理、無理。できない。どうしよう・・・」という感じでした。
でも、そういう面については、学校生活の中で、そして社会へ出て、だんだんと芽を出し、伸びて、発展していきました。なるように、なった。
母にしたら、「いったい、この子は何なのだろう」「どうして誰とでも気安く話すんだろう」「なぜに毎度毎度、班長、級長、部長・・・と、グループがあれば必ず『長』になってしまうんだろう」「ああ、いやだ。ああ、おそろしい・・・」という感じだったと思いますが・・・(実際、心配されっぱなし、嘆かれっぱなしでした)。
・・・以上、そういう点が、私が 母から習わなかったこと。
だけど、あの 母の姿から習ったこと もあったのだよな、と最近思います。
たとえば、暮らしの中、絶えず創意工夫をするところ。
繕い物、縫い物が得意です。各種手仕事が上手かな。
それから、
萎れた草花、捨て猫、病気やケガで困っている人・・・目にしたそういう対象を、決して放置せず、尽くし、守ろうとするところ。
根気よく、誰か、何かの面倒を見る・・・というような機会があると、私は最近、あぁこういうところは母がしていたようにしているのかな、黙々と世話をするのが苦じゃないのは母譲りだな、と思います。
若いお客さんの中には、「私は母から、何もしてもらってない」「母のせいで人生が困難だ」と言う人がいます。結構、います。
でも、「もらえなかった」とわざわざ言うものは、実は自分がもともと持ってます。
芽が出てなくて気づいてないかもしれないけど。
そして、「もらっている」ものの中には、害になってるもの も勿論あると思うけど、人生を支えていく「武器」であり「宝物」であるはずものも、必ずあると思います★