カテゴリ:私の話( 35 )   

生地のど真ん中にクッキーの型を当てたい欲求   

2017年 09月 01日



型抜きして作るクッキーってありますよね。


こういうやつ。



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子どもが小さい頃、よく一緒に作ったものですが、自分自身が子どもだった頃にも、何回か妹たちと作らせてもらった記憶があります。


私は3姉妹の長女なのですが、そういう時ってやっぱり、のして広げたクッキー生地にいち早く型を当てて星だのハートだののクッキー型を抜くのは妹です。


ど真ん中にヨイショ、もう一つヨイショ。


・・・で、やりたがる妹たちに譲ってるうちに、いざ自分の持ってる型を当てようと思った時には、もう既にくり抜かれてる生地の隙間は十分な大きさではなくて、ちょっと欠けたりして・・・


また生地を丸めて伸ばせばいいわけなんですけど、

なんか、いつも、「あ~あ・・・」って。


これ、この間テレビの子供番組でクッキーを作っているシーンを見て、ふと思い出したことです。




私は、いつでも、何にせよ、誰かと居たら、誰かに譲ってしまう気がする。


まだ一つも穴の開いていないクッキー生地の好きな所に型を当てていいんだってことが、どうもわかっていない(笑)


たまにはやってみようかな。

いち早く、いい場所に、ポンと穴を開けてみる・・・、そういうこと。


「私は余ったところでいいです」「余らなかったらそれはそれでいいです」って、

そういうの、もうやめようかな。



今さらやってきた、心境の変化です星



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by kktreasure | 2017-09-01 11:53 | 私の話 | Trackback | Comments(0)

家系図を眺めて想う   

2017年 08月 14日

伯父が亡くなったことを娘のショウコにLINEで知らせたら、その伯父には殆ど会ったことのないショウコが「その伯父さんって、誰の何だっけ?」と返してきました。


「私の父のお姉さんの旦那さんだよ」と答え、

そうだ と思ってさらに、簡単な家系図を描いて「この人だよ」と矢印入れて送ってみたら、スッキリ理解してもらえましたOK




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数年前にも、「母が元気なうちに聞いておこう、母がいなくなったら二度と分からなくなってしまう」と思い、母に聴き取りをしながら、父方、母方、両方の家系図を描いてみたことがありました著者名


四代しか遡れませんでしたが、母は3親等内の血族、姻族ほとんど全員の名前と生年月を言えたので、おお、凄いもんだな、と・・・。


(あれ、どこにしまっちゃったっけ?blue 後で探そう・・・汗


ショウコにとっては、それが母親方、半分。


もう半分、父親(私の主人)方は、ちゃんとした家で、主人には毎年開かれる「いとこ会」なるものもあり、しっかり繋がっている親戚があるのですが、家系図も立派なものが作られていますので、そちらも OK




自分の父方、母方。

配偶者の方の、父方、母方。


それぞれ、家系の構成員の傾向が大きく異なっている、という方もいらっしゃるでしょう。私のところも そうです。




私については、


父方お爺さん には "調子よくやっている人" が、割といます。

芸事に長けていた人、商売をやっていた人が何人も。


また、家系図づくりの際に初めて知ったのですが、父の祖母がお寺の娘で書道の先生だったのだそう。


お寺かぁ…、とちょっと嬉しく興味深く思いました。一度訪ねてみたいと思っています、家系図持って「私、この図のこの位置にいる者です」と。


父方は、まぁ、繁栄上がるしています。

いとこたちも、一人当たり2~3人、子どもを持っていますので、暫くは滅びないですね。




一方、母方おばあさん は、農民多し。黙ってひたすら耐え忍ぶ系。


「貧しかったので、仕方なくこういう選択をして我慢してきました・・・」という人生を送った人が多いかな。


それから、私の いとこたち を見回すと、特に男子は一人も結婚していませんので、家系的には没落傾向サゲ、先細っています。


私はこちらでは異質ですね、性質がオープンだし、楽天的だし、大人しくないしあせる




…と、「相当異なる 父方×母方 の掛け合わせ →→私ヒヨコ」 なんですね。面白いです。




今年のお盆は、簡易家系図を描いてみたことをきっかけに、

「私は 地球🌎に降り立つ場所として この家を選び、ここから人生を始めたんだなぁ」

ということ、その意味を、あらためて静かに想う機会になりました。




自分は親兄弟、親戚と仲良くやってる、賑やかだ、という人も、

自分は親や親戚とは縁が薄い、縁を切ってる、という人も、

脈々と継がれ繋げられてきた命のリレーの先端にいるんですよね。




あなたのご先祖様たち、ご親戚は、どんな方が多いでしょうか?


父方、母方それぞれから、どんな要素を受け継いでいると感じますか?






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by kktreasure | 2017-08-14 13:10 | 私の話 | Trackback | Comments(0)

この1週間の 楽しかったこと☆嬉しかったこと☆   

2017年 08月 08日

リボン 『黒柳徹子×田川啓二 SU・TE・KI!展』@日本橋高島屋


徹子さんと、ファッションデザイナーでビーズ刺繍のカリスマ、田川啓二さん。

『徹子の部屋』がご縁で交流があるというお二人は、ともに「素敵な物、美しい物が大好き」。

そんなお二人が集めたコレクションの数々を展示する催しです。


着物、布地、工芸品、アンティークなど、「なんて美しいんでしょう!」と溜め息の出る作品の数々。


私は、刺繍好きで、"シノワズリ" にどうにもこうにも惹かれるのですが、これはいずれも過去世由来です、きっと。

昔は、どうして自分は 刺繍モノ や シノワズリ様式の装飾に こうもドキドキするんだろう・・・と不思議でしたが・・・。


会場は大変な混雑でしたが、私はひとり 嬉しくなって華やいでウットリしてましたラローズ13


徹子さんは超・高波動ですから、販売されていたグッズは身につけていると運気が上昇しそうです御守

私も何点か購入しましたラローズ9




家 リクシルのショールーム


家の浴室とトイレのリフォームをしようと決め、リクシルの新宿ショールームへ。


私、職歴のひとつに「住宅展示場のアドバイザー」というのがあるのですが、「住まい」もまた、なぜか子どもの頃から大好きな分野でした。


私は、小さい頃の趣味が、戸建て住宅やマンションの広告(新聞の折り込みチラシなど)を切り抜いてファイリングして眺める・・・というもので、変わってるねと言われていたのですが、とにかく好きなんですね。


だから、住宅設備のショールームという場所は私にとって、アミューズメントパークみたいなもので、ココロ浮き立つ場所なのです。


「ああ、一日いられるドキドキ 」「若かったらここに勤めたいくらいだ」・・・そんなふうに思いながら、長い時間滞在しました。




ヒマワリ 誕生日を祝ってもらう


生誕55周年、です(笑)

朝起きたら、主人からの祝花ブーケがテーブルに置かれており、

昼には娘(たまたまお休み)がホールケーキ持って駆けつけてくれ、

夜は子ども二人(あ、息子、いま日本に帰ってきています)が二人で作ってくれた料理で祝ってくれましたカンパイ


幸せな55歳の誕生日になりましたプレゼント




そんな1週間でした。


誕生日前後1週間は、一年で一番願い事が通る時期といいますので、大事に過ごそう、上げていこうと思っていましたが、嬉しい、楽しい出来事が続いて良かったです星





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by kktreasure | 2017-08-08 11:07 | 私の話 | Trackback | Comments(0)

「気づけば遠くへ来たもんだ」は、あのトラウマ体験のおかげ   

2017年 04月 14日

中学時代のバレー部の顧問、"鬼監督" のK先生に、駅でばったり会いました。

このK先生は、体育教師、校長として私の住む町で長年教師をやっていた人で、少し前まで私の夢(悪夢)の 最多出場者 だった人です。



私には、父親(バレーボール協会に所属、市のスポーツ振興に関わっていた人)がこのK先生と知り合いだったせいで、当時K先生が率いていたバレーの強豪校に、越境入学してまで通わせられ、バレーボールを3年間やらされた…という悲しい過去があります(辛すぎて、今でも中学時代の記憶が一部飛んでいることは、以前書きました)。

親と監督がグルですから、私は逃げ出すこともできず(ほんとは一度逃げ出したのですが、連れ戻された後は "公開処刑"、結局、続行させられてしまいました)、

身体も気持ちもギリギリの(いや、超えてた)、地獄の日々を送ったわけなんですね。




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あんなにシゴかれて、殴られて、背負い投げされて、気を失えばキツケのためにバケツの水かけられて、人格否定に近い罵倒も受けて…

そんな部活動を、12~15歳の私、よく耐え抜いたな…と思います。


厳しすぎる練習も酷い体罰も当たり前の世界でした、今だったらあり得ないですね。

いや、当時でも、市の大会、県大会なんかで接した他校の生徒や先生は、引いてましたね、ドン引きです。相手チームをビビらせる効果はあったけど、なんたって、中学生の女の子が、巨漢の監督に、張り倒されちゃう、吹っ飛んじゃうんですから。


あ、それに近い話、平野ノラさん(少女時代、強いバレーチームにいたんですね) もテレビで語ってましたね。体罰はなかったんでしょうけどね。




まさに「トラウマ体験」をしてしまったため、その後長きに渡り、たびたび夢に出てきたわけです、バレーボールも、K先生も。

夢の中でも私は、ダメな選手でダメな人間で、苦しむんですよね…、あぁやだやだ。


この夢は、30歳過ぎても、40歳過ぎても、繰り返し見てました。

見なくなったのは40代でセラピー受けたりエネルギーワークを習得したりした後のことです。


数年前の同窓会で先生に会って話をした時、なんだかこの人、変わらないんだな、狭い世界にずっと居続けているんだな‥‥と思ったのですが、心の中で、「もう脅威ではないな」とやっと自分に言ってあげられて安堵したことを覚えてます。




そして今回。

ますますK先生は 小さく なってました。

多少痩せたとはいえ身長180数センチある大男で、眼光も鋭く、パッと見 おっかない系の人ではあるのに…。


面白いものだな、自分が変わったせいだな、と思いました。


きっと先生は長年同じ場所で同じことを続け、普通にゆっくりと年をとった。

一方、私は、うんと苦しんで傷ついたおかげで、「旅」に出た。


傷ついたところを癒す旅。

まだ隠れてる自分を探す旅。


そうしてずいぶん違う場所へ行くことが出来たんでしょう。


先生が 「なんだかお前、上品なご婦人になったな」 と言い、「ママさんバレーやってないのか? SやF(元チームメイト)はまだ活躍してるぞ」 なんて言うから、困って苦笑してしまった。


(先生、私はもうそういう世界にはいないです。)




最近、「気づけば遠くへ来たもんだな」とか、「まぁ、よくやってきたよね」とか思える出来事が、続いています。

ちょっとしたご褒美のようだし、見えない修了証を手渡されたような気持ちになることもあります🌸




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by kktreasure | 2017-04-14 08:32 | 私の話 | Trackback | Comments(0)

分からないけど分かろうとして 心を寄せる人になりたかった   

2017年 03月 15日

最近、母とテレビの情報番組を見ていたた時に何度か、

「ああ、私は小さい頃、母のこういう言葉に哀しくなっていたんだな…」

と改めて気づくことがありました。


それは、伝えられる隣国の様子を聞いて「あんな国に生まれなくてよかったわ」とか、

映し出された震災後の東北の町の様子を見て「ここ(埼玉)は海がないから安心だ」とか、

そういう言葉でした(別に、私に向けられる暴言というわけではなく…)。


もう呆け始めている老人の言う言葉なので、ひとつひとつ咎めたり窘めたりすることもないですし、母は別に悪い人ではありません。


野良猫の暮らしを気に掛けるし、傷んだ植物の世話をして復活させるし、困った人が目の前に居たらなんとかしようと動くでしょう。「善良なちゃんとした人」です。


ただ、物理的、精神的に自分から遠いところにある人や場所のことを、想像することが出来ないだけです。


でも私は子どもの頃から 母の視野や物の考え方や時に無神経な言動に気づいていて、今思えば、それらがいちいち哀しかったり痛かったりしたのだと思いました。


無垢、とか、無神経、は、子どもが親のそれに気づいても どうしようもないですから、当時はそういうものか…と受け入れていましたし、逆に自分の感受性や共感能力を、めんどくさい困ったものだと思っていましたが…。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



昨晩はひとりで、録画されていたあるテレビ番組を見ました。

息子が「君の名は。」や「新海誠監督」をキーワード入力していたために自動録画されていたニュース番組だったんですが、

その中で新海監督は、『君の名は。』の起点になったのは、じつは 震災の後に訪れた名取市の閖上地区、というお話をされていました。


被災地で実際に暮らしていらっしゃる方々の感じたことを自分自身が分かるわけでは全くない。

それでも 『君の名は。』 は、"何かを取り戻す映画" にしたいと強く思った。


「ここは自分の町であったかもしれない」、「自分はここで生まれ育ったかもしれない」

「もし自分がここにいたらどうしただろう」、「もしも自分がここにいたあなただったら…」と思った。

その強い思いが、「もしも自分があなただったら…」という入れ替わりの映画を作ろうという気持ちに繋がった。


そう語ってらっしゃいました。




上に書いた母の "正直な" 言葉と、新海監督のそんな感性や眼差し。


どちらも、私の インナーチャイルド を刺激しました。


いまだに 「リトルあかり女の子」 は、 感じ、 学んで、 成長しているのだなぁと思います。




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Photo by David Shub





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by kktreasure | 2017-03-15 08:05 | 私の話 | Trackback | Comments(0)

10歳だった私の異文化体験   

2016年 12月 22日

小学校5~6年生のとき私は、近所のお宅へ英語を習いに行っていました。


両親は教育熱心でもなんでもないのですが、近所の方がうちの母に

「この度アメリカから帰国されたHさんというお宅の奥様が、英語を教えてくれると言ってるから、あかりちゃん、うちの娘と一緒にどう?」

と声をかけてくださったことがきっかけでした。


そのHさんというご婦人(当時40代かな?とても上品な方でした)は、我が家の近くに家を建てて、イギリス人のご主人とお子さんたちと一緒に住み始めた・・・ということでしたが、

庶民の子・あかり(10歳)は、初めて訪ねたときから毎回、その「イギリスの上流」が匂ってくる建物や暮らしぶりに、衝撃と感動で舞い上がっていたものです。


H家は大きな洋館で、レッスンを受ける部屋には暖炉があって、

素晴らしく掛け心地のよい椅子に座らせてもらって、

いつもテーブルの真ん中にはアレンジされた生花が飾ってあって、

洋書がたくさん置いてあって、絵本も美しい外国のもので、

出していただくお茶は、丸いガラスのポットの中で茶葉が跳ねながら色づいていく紅茶や、時には不思議な匂いのする棒(今思えばシナモンスティック)を入れて掻き混ぜてみて、と促されるコーヒーで、

ワークを済ませて別室で待機している先生を呼ぶときは 美しいベルを鳴らすしくみで・・・ベル


英語は、会話も教わりましたが、その後中学校で使うことになるテキスト 「New Horizon」 も使われました。 H婦人は、「This is a pen なんて言う機会はおそらく、一度もないと思いますけどね・・・」 と苦笑してましたけどね。


そんなお宅へ、私と、友だちのユカちゃんは、英語と 欧米の文化 を毎週2回、教わりに行ったんですね。

夢のような時間でした ラブラブ



☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



なかでもクリスマスについては、ほんとに感動が大きかったです。

暖炉の脇に置かれた大きな本物のモミの木にオーナメント(我が家のツリーは、小さな作り物でした)、壁には「アドベントカレンダー」なるものが掛けられていて、それは、12月1日から24日まで毎朝、その日付の窓を開けていくのだという・・・

もう、ちびまる子ちゃん的なリアクションになって目が潤んだ気がします。




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↑↑↑

こういう、数字の所をめくっていくやつです☆




クリスマスパーティーでは、英語でクリスマスを歌うレコードがかけられ、赤くて太いローソクに火が灯されていて(仏壇や災害時用の白いのしか見たことがなかったからビックリ)、

いただいたケーキも、今は当たり前に食べますが、当時は珍しい "生クリーム" を使ったものなんですよね ケーキ

我が家のはバタークリームとかいう不味いやつでしたから、この世にはこんなに美味しいものがあるのかと感激しました(笑)


そして何より、クリスマスって何なのか、クリスマスはどう過ごせばいいのか、マインドの問題として大事な事を教わったことが、すごく幸せなことだったと思います。


この季節になると今も思い出す、H婦人のお家の話でした クリスマスツリー




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by kktreasure | 2016-12-22 08:31 | 私の話 | Trackback | Comments(0)

トレッドミル検査を受けて・・・   

2016年 12月 16日

動悸や息切れが気になって受診し、トレッドミル運動負荷試験を受けました。

心電図、血圧をモニターしてもらいながら、段階的に速くなったり坂になったりするベルトコンベアの上を歩いたり走ったりして心臓に負荷をかけ、安静時には分からない狭心症や不整脈などがないか、調べるものですね。



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(画像お借りしました)



結果的には大したことなかったので良かったんですが、"走らされ、走れなかった自分" に少々気落ちしてしまいました。


私は中学生の頃まではほんとに俊足でした。

近年の 大きな私 しかご存じない方は笑うと思いますけど、埼玉県では最も速い、という時がありました。短距離も長距離も。


だから「走る」と言われると反射的にアドレナリンが出始めると言いますか、なんか燃えてしまうんですね。


ドクターの事前説明でも、当日見た検査室の壁の注意書きにも、「体力測定ではないので無理をしないでください」とあったのに、いやいや、頑張らねば!見事に走り切ろう!みたいに意気込んでみたりして・・・(苦笑)




で、どうだったかというと、ちらりよぎっていた不安のとおり、まるで走れなかった。予想以上に走れなかったんです。

早々と息が上がってしまい、90秒ごとに加速されていくんですが、ベルトコンベア部分が ぐいーんと上がって傾斜がついてからはもう・・・あせる


よく、子供の運動会で張り切って走って転倒するお父さんがいますけど、あれです。昔の体の感覚に脚が付いていかないという・・・

たぶん情けない滑稽なフォームで走ってたと思うんですけど、それより、予定されてた時間を走りきれなかった。


ドクターの「まだイケますか? 大丈夫ですか?」の問いに「もうダメですショック」と申し出たところで、停止ボタンが押され終了に・・・ ダウン


心臓については軽度の症状は出たものの一応異状なしで終わったのに、なんだかブルーになってしまいました。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



じつは「私と運動」は、昔、自身の親子問題に取り組んだ時に、何度も扱ったテーマでした。


私の両親は、自分たちの希望、夢のために(もちろん、そうは言わず、「お前には才能があるのだから・・・」と言いました)、私にアスリートとしての進路しか認めない・・・ということが高校受験の時にありました。


私はたくさんの学校からスカウトされたにもかかわらず反抗してそれらを無視、親の意向に従わず勝手にしたわけなのですが、以来私は父親から数年間無視され(←父は私を懲らしめていたつもりかもしれませんが、要は拗ねてたわけです)、父が病気になった時も母親から「おまえがお父さんの夢も希望も奪って悲しませたから」と言われ・・・


あれはほんとに傷ついたなぁと今でも思います。




でもとにかく私は、自分の運動能力という価値を親のために差し出すことは拒否しようと思ったし、得意だったスポーツから、意識的に遠ざかって(ありとあらゆる運動は極力避けるようにして)年を取ってきてしまったんですね。


・・・・・で、この度のトレッドミル検査です。


誰でも年を取れば徐々に走れなくなるものですけれど、私は、まさかここまで走れなくなっていたとは・・・と驚き、落ち込んだわけです ショボーン




「子どもの頃は走るのが大好きだったな・・・」


「息を吸って、息を吐いて、筋肉としゃべるようにしながら、風とか陽射しを感じながら、気持ちよく走ってたな・・・」


「もう二度と、あの感覚は得られないのだな・・・」


そんな哀しみが、ちょっと込み上げてしまったトレッドミル運動負荷試験でした。


これからはせめて、てくてく、ずんずん、歩こうと思います もみじ



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by kktreasure | 2016-12-16 07:55 | 私の話 | Trackback | Comments(0)

「自分の中にある女の子の部分を引き出してくれる人に出会わなきゃね」と言った人   

2016年 11月 04日

大学時代にパブでアルバイトをしていた時の話です(もう30年以上前になるのだな、と我ながら驚きます)。

そのパブは、120席ほどある大きなお店で なかなかの高級店でしたが、景気の良い時代でしたので、毎晩たくさんのお客さんで賑わっていました。週末は必ず満席。

気合いを入れてたくさん稼いでいる専業のホステスさんに混じって、大学生だった私も頑張ってましたね。ほんとに毎日が楽しかった音譜(親は呆れ、嘆いていましたがあせる)。

「花の女子大生」なんて言葉の流行っていた時代でしたから、大学生だというだけで人気があり、チヤホヤされて良い思いをしたり、自分の無知を思い知らされて凹んだり、常に競い合っている女たちの闘いというものに巻き込まれて こっぴどい目に遭ったり……

またとない、忘れられない経験をたくさんしました。

お酒のこと、接客について、酒場という場所のこと、闇の世界、男ってもの、女ってもの、男女のこと……、ほんとに勉強になりました。

一流企業といわれる会社の方たちがたくさん利用するお店だったのですが、そういうお客さんたちからは、ためになるお話を聞かせてもらったり、ときには 「早く(勤務を)上がって勉強しなさいよ」 「就活はどうなってるんだ?」 とお説教されたりもしました。


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そんなお客さんの中に、誰もが知っている大きな会社の役員だった クロダさん というおじさんがいました。

俳優の渡辺哲さんにそっくりな風貌で、お話が面白くて優しいのでホステスたちからも大人気の人でした。


↓↓ 渡辺哲さん

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そのクロダさんがある日、席に私と二人になったときにしみじみと言ったことがあります。



あかりちゃんって、長女でしょ?

学校でも何処ででも、○○長と名の付くものは何でもやることになっちゃうでしょ?


あかりちゃんは、みんなのお姉さん、みんなのお母さんになっちゃうよね、どうしてもね。

その圧倒的な包容力と母性を、損だなんて思わず大事にしなきゃいけないよ。

いつか、それを使って仕事をしていくことになるんだからね、天職ね。


でもね、お姉さん的なところやお母さん的なところを出してる限り、

引き寄せられて来るのは幼稚な男だよ。

あかりちゃんはそういう男に求められることで満足してちゃいけない。


あかりちゃんは 自分の中にある「女の子の部分」 を引き出してくれる男と出会わなきゃね。

自分を女の子にしてくれる男、ね。


これ、憶えておくといいよ。



当時は、その言葉の重さをまだ理解していなかったし、「はーい」と返事をしただけで話はそこで終わってしまったのですが、これは、今でも忘れられずに心に残っている言葉です。

いま思うとクロダさん、大事なこと言ってくれてたなぁ……

酔っ払ってホステスたちを笑わせてばかりいたけど、じつはそんなふうに、一人一人を見抜いて接してくれていたのだなぁ……




”しっかり者の長女”のお客さんとお話ししていて思い出した、クロダさんの言葉です宝石赤



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by kktreasure | 2016-11-04 08:10 | 私の話 | Trackback | Comments(0)

社長さんは違うな と思った ~掃除婦をしていた時の話~   

2016年 07月 29日


20年ほど前になりますが、私、掃除婦をやったことがあります。
心に嵐があった頃で、デスクワークでない、人と話さずに黙々とやれる仕事をやりたくて。

携帯電話の部品を作っている小さな会社の 事務所や役員室のお掃除 で、掃除の仕事そのものも楽しかったですし、"誰からも見えていない" 掃除婦ならでは・・の潜入ができたおかげで、働く人や人間関係のウォッチングが面白かったです。

掃除婦は見た。ですね。



憐れまれたり蔑まれたりする感じを体験するのも新鮮でした。

ははー、人って「お掃除の人」をこんな風に思い、扱うんだな、って。



ある日、床の汚れを取ろうとひざまずいて作業していたときなんですけど、事務員の女の子(20歳そこそこ)に頭上から声を掛けられました。

「郷家さん、これどうぞ」

見上げると、スーパーのサッカー台にあるロールになったビニール袋に洋菓子を入れたものをぶら下げてまして、

「これ、ヨックモックっていうところのお菓子なんですけど、美味しいのでお子さんにどうぞ。喜ぶと思いますよ」


と言うんですね。

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画像、YOKU MOKUさんのサイトからお借りしました


めっ、恵んできたーーー(笑)

掃除婦なんかしてる人は、ヨックモックのお菓子なんて知らないでしょうけど??(゚ー゚;



ありがたく頂戴しましたけど、家族や友人に言ったら、大笑いされましたね。

以後「ヨックモック事件」として語られました。

大きな会社でみっちり教育され鍛えられた私からしたら、その若い事務員さんの仕事のしかたは、なんだったら指導したいレベルのものでしたけど、とにかく憐れまれ馬鹿にされていました。ゴム手袋してる掃除婦ですからね、まさか "何かと達者な人" だとは思いませんね。



でも、そこの会社の社長さんとその奥様は違いました。
社員、関係者、皆のことを大事にされており、掃除婦であった私のことも、とても丁寧に扱ってくださいました。

他の社員さんは私への「おはようございます」は適当でしたが、社長さんご夫婦は、私にも笑顔できちんと挨拶をされ、ひと言ふた事必ず話しかけてくださいました。

また、しばらくすると私の経歴を聞いて、掃除会社の方にはこちらから話をするから、これからは掃除ではなく事務の仕事で来てくれないか、とおっしゃいました。

「お掃除されてる姿と、ちょっとお話しした感じから、あれ?もしやこの人は・・・」と思ったのだと・・・。(有難くお断りしましたが)

小さいけど優良な会社を経営するこの社長さん、上品で感じの良いご挨拶といい、人を見る目の鋭さといい、違うなぁ・・・と思ったものです。



昨日、デパ地下でヨックモックの売場を目にして、くすりと懐かしく思い出した、掃除婦だった時のことです
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by kktreasure | 2016-07-29 07:55 | 私の話 | Trackback | Comments(0)

母から習わなかったこと、習ったこと   

2016年 07月 10日


私の母は、東北の雪深いところで生まれ育ち、中学卒業と同時に奉公に出た・・・という “おしん” を地で行く人なのですが、忍耐強い、内気な人です。非社交的。

気持ちや考えを述べたり、大事な事を人に伝えたり・・・ということが苦手です(苦手というより、そもそもそういう習慣が全く無いです、搾取されまくっても文句を言わないタイプ 笑)。

だから私も小さい頃は、他人に思ったことを伝える とか、知らない人とも気楽に交流する とか、そんなことは “ありえないこと” 、とてつもなく難しいことだと思っていました。

「(親から)教わってないから知らないよ」「無理、無理。できない。どうしよう・・・」という感じでした。

でも、そういう面については、学校生活の中で、そして社会へ出て、だんだんと芽を出し、伸びて、発展していきました。なるように、なった。

母にしたら、「いったい、この子は何なのだろう」「どうして誰とでも気安く話すんだろう」「なぜに毎度毎度、班長、級長、部長・・・と、グループがあれば必ず『長』になってしまうんだろう」「ああ、いやだ。ああ、おそろしい・・・」という感じだったと思いますが・・・(実際、心配されっぱなし、嘆かれっぱなしでした)。

・・・以上、そういう点が、私が 母から習わなかったこと



だけど、あの 母の姿から習ったこと もあったのだよな、と最近思います。

たとえば、暮らしの中、絶えず創意工夫をするところ。

繕い物、縫い物が得意です。各種手仕事が上手かな。

それから、
萎れた草花、捨て猫、病気やケガで困っている人・・・目にしたそういう対象を、決して放置せず、尽くし、守ろうとするところ。

根気よく、誰か、何かの面倒を見る・・・というような機会があると、私は最近、あぁこういうところは母がしていたようにしているのかな、黙々と世話をするのが苦じゃないのは母譲りだな、と思います。


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若いお客さんの中には、「私は母から、何もしてもらってない」「母のせいで人生が困難だ」と言う人がいます。結構、います。

でも、「もらえなかった」とわざわざ言うものは、実は自分がもともと持ってます。
芽が出てなくて気づいてないかもしれないけど。

そして、「もらっている」ものの中には、害になってるもの も勿論あると思うけど、人生を支えていく「武器」であり「宝物」であるはずものも、必ずあると思います
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by kktreasure | 2016-07-10 12:10 | 私の話 | Trackback | Comments(0)