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思わず握手をしてしまったセッション   

2016年 09月 29日

昨日は、セッションの終盤、私の方から思わず手を差し出して握手をした・・・ということがありました。



Kさん(30代女性)。
中国で生まれ育った韓国人の方。日本やアメリカなど複数の国で暮らしたことがあり、4か国語を自在に使います。


昨年の春、強い不安やうつの症状を出しながら、

「自分の考え方に問題があるように思う」
「親子問題を解決したいので手伝ってください」


といって来られました。



話していると、完璧な(しかも洗練された上等な)日本語を話されますので、日本人ではない、ということをつい忘れてしまうのですが、じつは初めのお問合せでは「英語でのセッションは可能ですか?」と質問してこられました。「英語が最も細かな表現ができる言語なので」と。

私は、「残念ながら無理です、私の英語はトラベル英会話レベルです」とお返事したのですが、「では、日本語で構わないのでお願いします」と言って来室され、それ以来毎月、通ってくださっています。



Kさんは、生まれてからずっと日本の関東地方にしか住んだことのない私には想像もつかない、国を越える「移動」を何度もしてきました。
少なくとも子ども時代は自分の意思ではなく親御さんの都合で。

ひとりで放り出されたようになり彷徨った過去から、アメリカ、日本と移動した半生・・・。

これまでに経験した不安や孤独は相当なものだと思うのですが、それらを抑圧したまま、そして、実際には持っているのに無いことにしてきた「親への怒り」に囚われたまま、これ以上 生活、人生を運営していくことはもう無理、という段階に来ているようでした。

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実際Kさんは、溜め込んでいるエネルギーが大きすぎて、複雑すぎて、正直私は「これを安全に解放していくことは容易じゃないなぁ、日本語のセッションで、どこまでできるだろうか・・・」と感じていました。

真面目で聡明な彼女が大事に守ってきた考え、彼女を育んだ文化(私はきっと理解できていません)、流ちょうに話してくれるけれど、実は英語の方が容易に伝えられるのになぁと思わせているに違いない日本語でのセッション・・・

私は、この一年、せっせと通って来てくれるKさんのお役に立っているんだろうか・・・?、回数も随分と増えてしまったし、一度、他所のカウンセリング、セラピーも試してみるよう勧めてみようか・・・、と考えたこともありました。



でもKさんは、懲りず、諦めず、継続してくれました。

しかも、相談室に来てカウンセラーにどうにかしてもらおうなどとは考えず、毎回毎回、セッションでの気づきを持ち帰り、日常に生かし、新たな気づきを持って、また相談室へ足を運んでくれました。

ときには精神的に不安定になって、出張先のアメリカから、イギリスから、緊急スカイプセッション、ということもありましたが、

とにかく彼女は、自分を疎かにせず、自分の心から目を離さず、その深い泉を覗き続け、もっともっと軽やかになりたい、もっともっと優しい人になりたい、自分の人生をちゃんと(親のせい、育ちのせいにせず)生き直したい、と言って、覚悟し情熱を持って臨み続けてくれました。




昨日のセッションの終盤、彼女から出た言葉。

「私はやっと、自分を愛する、の意味がわかってきた気がします。やっとです」

「親はこうであるべきだ、自分はこうしてほしかったのに、という思いにしがみついて、恨みがましく生きることをやめられなかった自分が、ついに愛おしくなりました」

「自分は頑張ってきたんですね。そして、同じように、父も、母も、彼らなりに頑張ってくれたんですね。あれが精一杯だったのだと、無理せず自然に思えたら、なんだか愛おしさが込み上げました。そしてそのあと、自分への愛おしさで自分が満たされる、という初体験をしました。ずいぶん泣きました。不思議な涙でした」




・・・私が、思わず手を差し出し握手を求めてしまったのは、その時でした。

私は、Kさんが本当に努力して来られたことを知っていますので、
「よく独りでその境地に辿り着いたなぁ、凄いなぁ・・・」と、込み上げてしまったのです。



それを伝えるとKさんは、

「いいえ、自分は独りではなく、いつも、あかりさんと二人三脚で歩いている気持ちでした」

とおっしゃいました。



・・・ありがたいです。

本当に私は、彼女の一年を越える取り組みに付き合わせてもらいながら、育ててもらっている、と感じました。




Kさん的には、この取り組みは「やっと折り返したぐらい」の気持ちなんだそうです。

次のステージへ上がれたと思えるまで、伴走してください、とのことでした。

ありがたく、お伴させていただこうと思います。相変わらず日本語のみにて、ですが!



(※Kさんの許可を頂き書かせていただきました)


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by kktreasure | 2016-09-29 08:18 | カウンセリング | Trackback | Comments(0)

「笑顔を引っ込める」?   

2016年 09月 26日

「なぜかお客さんをイラつかせてしまう」というご相談。

接客業をしている "とても感じの良い" 青年のお悩みを伺っていて思い出した話を書きます。



★ ★ ★ ★ ★



先日、ある手続きがあって、市役所へ行ったんですね。

昔と違って今は、窓口の対応も感じよくなりました。

笑顔もあります。

(昔はエラそうだったしチンタラしてたし、ほんとに感じ悪かった・・・あせる)


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しかし今回は私、その「別に落ち度があるわけではない真面目な対応」に苛立ってしまった のです。

手続きをやっとこさ済ませ、やれやれ・・・と疲労を感じながら市役所を出てから考えました。

どうして自分は、あそこまで(一瞬 声を荒げてしまうくらい汗)イライラしたんだろう・・・




窓口で対応した担当者は、私の言っていることの意味が解らないと言い、それは無理だと言い、「原則こういう決まりになっている」を何度も何度も繰り返し、

うんざりした私がイラつきながらも「そのルールに反する話ではないと思うが?」、「いいですか? こういう話ですよ? 問題ないでしょう?」と根気よく説明をして訴えると、「なるほど、そういうことですか、やっと理解出来ました(^-^)」と頷き、

それでも「自分には判断ができないので上の者を呼んできます」と裏へ行き10分近く待たせ、"上の者" を連れて戻ってきた。

結局、何ら問題はない、ということが判り、無事に処理されて終わったのですが・・・



気づいたのは、

「窓口で対応した職員の男性が、終始ニコニコ笑っていたから、私はひどくイラついたんだ」

ということでした。


私が必死に説明してるのに、笑顔。

私が困り果てても、呑気な笑顔。

私が怒っても、やっぱり笑顔。

ずっと笑顔だったのです。


目の前の私がどんな表情でどんなことを言っても、それに気づかず、"ずっと変わらぬ笑顔" をしていたから、私はイライラしたんですね。

だめだ、この人。わかる気がない・・・むっ



★ ★ ★ ★ ★



接客業の人が知っておくといい「表情」というのがあります。


まず、ベースは笑顔ですよね。誰でも知ってます。

それから、不安な気持ちのお客さんに適当な表情も、優しい笑顔です。


でも、

イライラしている人に接するときに適当な表情は、不安な表情

悲しい表情をしている人に接するときに適当な表情は、悲しい表情

いつ何時もずーっと笑顔、じゃない。


って、当然ですね。
細やかな本物のホスピタリティーを心得たサービス業の方なら、誰もが習得して、意識せずとも使っているスキルだと思います。

サービスを受ける人のことを心から考えていれば、「相手の気持ちに合った表情」「相手の感情に寄り添った表情」というものは自然に出来てくるものだと思うのですね。

でも、難しい人には難しいかもしれません。「そんな余裕はない」とか。



とはいえ、そういう人でも、目の前にいる相手がどんな気持ちで何を解ってほしいと思っているのか・・・、そこを想像して「適当な(ふさわしい)表情を作る」という「形」から入ることはできそうじゃないですか?

その「形」(表情という感情の「器」)に、誠実な本当の感情を入れていけばよい、そのバリエーションを増やしていけばよい、そう思います。



サービス業は、笑顔の接客が基本です。

でも、ワンランク上を目指すなら、
相手をよく見て気持ちを想像し、それに敏感に反応する「表情接客」の訓練 を、どんどんやってみてほしいと思います 星


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by kktreasure | 2016-09-26 08:07 | 心の話 | Trackback | Comments(0)

自分が用意した(はずの)課題から逃げ回らない   

2016年 09月 23日


なぜこんなことが起きてしまったんだろう、

どうしてこんな目にばかり遭うんだろう、

悲しい、悔しい、腹立たしい、嘆かわしい、恨めしい・・・



そんなふうに思う出来事というのは誰にでもあると思います。

でも、出来事だけを見て処理していても、あるいは、その時は上手にやり過ごしたつもりでも、キリがない、変わらない・・・と感じることはないでしょうか?



★ ★ ★ ★ ★




以前、相談室にこういう方が見えました。

「他人に対して ものを言えない(言えなさすぎる)のが悩み。いつも被害者のままで終わる」とおっしゃるのですが、お話を伺っていたら、喉の部分に「辛辣な言葉で人を傷つけていた呪術師の過去世」のエネルギーが張り付いているのが視えたのですね。

いろいろ失って孤独な晩年を過ごし、悲惨な亡くなり方をしているようでした(処刑されたよう)。

それで、今度の人生では人にズバズバものを言って敵を作るのはもう絶対やめよう、皆と仲良くしよう、と決意して生まれてきたのですが、とにかく、口で表現することへの恐れが強過ぎて、つい、押し黙る方法を取ってしまうために、「言いたいことが何も言えない」ということになってしまっているようでした。

でも、今世の目的は意外にも「声で人を癒すこと」と私には読めましたので、お伝えしてみました。

「なんとなく腑に落ちました」と言って帰られたその方はその後、司会者やナレーションのお仕事と電話相談員のお仕事を始められました。持ち前の優しい声を生かし、今もご活躍中です。




私の知人には、

長い不倫関係を経て ある男性と一緒になるも、その男性がやっていた会社の負債を共に抱えることになり、一時は相当苦労しましたが無事に清算をし、その後は生き方を変え、ある非営利の団体を作り慈善事業に精を出している・・・

という女性がいます。

その女性とパートナーの男性は、過去世で夫婦だったときにやっていた "アコギな商売" で、たくさんの人に悪いことをした、次回の人生では償いをしたい、癒され赦されたと感じられる活動がしたい・・・という思いを残していたようです。




いずれも、いろいろな困難はあったものの課題に向き合ってこなし(カルマの解消、という言い方もできますね)、その後、ご自分の魂レベルでの今生の目的に向かって進んだ人たちです。




★ ★ ★ ★ ★




人はこの世に、癒したい感情 や、体験したい何か(もの)、創造したい何か を持って、生まれてくると思います。


生まれてくるにあたって、「高次の(魂レベルの)目的」として、「体験することを決めているもの」が、じつはあると思うのですね。

何かを見聞きして存分に味わいたい、とか、何かを創造したい、とか、この傷を癒したい、とか・・・



人それぞれに、生まれてくる目的があり、意思がある・・・

気づいている人も気づいていない人もいると思いますし、「人生の長さ」や「起こった出来事」ベースでは、幸せだったとは言えない、ということもあるでしょうが。



人に裏切られたとか、大事な何か/誰かを失ったとか、大きな病気をしたとか、繰り返し事故に遭うとか・・・、いろいろあると思いますが、「困難な出来事」というのは、その「目的」を果たすために、自らが用意した課題のはずだと思うのです。

だから、辛いことばかりだなぁと思う時には、その現実に対応しながらも、引いた、高いところからの視点をもって眺めてみてほしい、しっかり受けて立ってほしいと思います。飲み込まれてしまうことなく。



後手後手の対応だけ辛うじてして、逃げ回っている・・・ということでは仕方がないですからね。
課題であるなら、自主的に、積極的に、取り組んでいきましょう。

某企業のCMで「結果にコミットする」と言っていますが、「人生にコミットする」ですね。



そうすればきっと、今回の人生の「高次の(魂の)目的」というのが明らかになり、新しい境地を知ることになるでしょう。

そうやって、現ステージ クリア! 次のステージへ☆ という体験をしながら成長して、少しずつ魂を磨いていくのだと思います 宝石紫


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by kktreasure | 2016-09-23 11:48 | スピリチュアル | Trackback | Comments(0)

終電を逃してまで話を聴く息子。息子を信じられなかったことを反省した私。   

2016年 09月 20日

息子のサク(24歳)が

「友だちに会ってくる。『アメリカ行くならその前に会いたい、驕るから飲みに行こう』って誘われた」

と言いに来ました。



「友だち? どなた?」と聞くと、

「お母さん知らない人。昔、音ゲーやってた頃に知り合った人で、3つ年上の人」



・・・!!! 音ゲー???


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サクの「ゲーセン依存問題」では、この10年、ほんとにいろいろとありました。

私は、もう勘弁してくれ(涙)という思いで疲れ果てていましたから、「ゲーセンの友だち」と言われただけで、動悸と眩暈をおぼえるようでした。

顔には出さず「はい、行ってらっしゃい」と送りましたが、内心は

「これから留学するってときに、どうしてゲーセン仲間なんかとむかっ?」

とムカッとしてしまいました。



そして・・・



気づけば、もうじき終電、という時間。

帰ってこないんだろうか、と思い LINEで尋ねてみましたが、ずっと未読。

やっと返事が来たと思ったら「まだ飲んでる。帰れない」のひと言・・・


「はぁ・・・。久々(ゲーセン)行きますか?とかいうことになったのかも。そうに違いない。ああ、やだやだむっ」と、膨らむ妄想でモヤついてしまう心を静めながら床に就きました。



★ ★ ★ ★ ★ ★



そして 翌日、帰宅後。

サクは、その友だちのことと、その友だちがその晩 サクに打ち明けてきたという話を聞かせてくれました。

その友だちとサクは、サシで飲むのはその日が初めてだったんだそうですが、
彼は、早くに両親を亡くした話や、気持ちが荒んでいた頃の話、働きながらお金を貯め受験勉強をして大学へ入った話、今春卒業して就職するも、うまくいかずに辞めてしまい、今はアルバイト生活をしている話などを、たくさん語ってくれた、とのこと。


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そして

「こんなに喋るつもりなかった。ごめんなさい。生まれて初めて自分のことを、友だち・・・しかも年下の人に話してしまった。我ながら驚いてる。でもなんだか凄く癒された。嬉しかった。ありがとう」

そうサクに言ったとか。

(そうか、そういうことがあったのか・・・)



サクが私に

「俺、なぜか『誰にも話したことない話』を聞かせてもらうことになるんだよな・・・」

と言うので、私は

「サクは静かに優しく受け止めるからだよ、きっと。この人わかってくれそうだな、って思うから話すんだよね。いいところだよ」

と言いました。



私は初め「音ゲー仲間」と聞いて反射的に嫌悪感を抱いてしまったわけですが、でもその夜の サシ飲み話 を聞かせてもらううちに、

話を遮れず、終電逃すことになっても、彼の話をじっくり聴こうと思ったサクの姿が目に浮かび、
その友だちが、聞き上手のサクに生まれて初めて自分の身の上を語ってしまったというのもよくわかり、
二人にとって 意味のある 忘れられない時間になったかもしれないなぁ

そう思えたのでした。



そして、「ゲーセン仲間=排除したい敵」みたいに思ってしまった自分が恥ずかしくなりました。


ああ、私って母親は・・・しょぼん



★ ★ ★ ★ ★ ★



息子のサクは、小さい頃は 俊敏、活発、とにかくよく動く元気な子どもでしたが、大きくなるにつれ、繊細さ、小心さ、感情的に不安定なところを見せるようになり、その傷つきやすさには、母として戸惑うことが増えました。

自分でも「豆腐メンタル」と自嘲的に言います。

でも、本当に本当に、気持ちが優しいです。
迷惑かけられても酷い目に遭っても、誰かや何かを悪く思わないようです。「そっかあ・・・仕方ないよね、頑張れよ」みたいに許します。

人がよすぎるだろ、と思うこともしばしば。

意地悪さ、ゼロ%。



そんなサクですが、来月からアメリカへ留学することを決めていて、いま準備中です。

これまでを振り返ると、受験して入った中学を辞め、大学を辞め、仕事を幾つも辞め・・・という挫折続きで、長らく閉塞感に苦しんでいましたので、一年でも海外へ出て行くのは とてもよいことだろうと、母としても喜んでいるところでした。



★ ★ ★ ★ ★ ★



その友だちには、「いろいろと見聞きしてきたこと、体験したことを、帰国したら話を聴かせてね」と言われたとのこと。

激励が嬉しかった、しっかりやって来なくちゃと思った、とのこと。

よかったね。

アメリカ、元気に行ってきて、土産話を持って会いに行って、またゆっくり飲んだら?と言いました🍀


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以上、猛烈に反省し、ちょっとだけ成長できた気がした 母あかり、でした<(_ _)>あせる




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by kktreasure | 2016-09-20 08:17 | 子育て | Trackback | Comments(0)

妻の暴力   

2016年 09月 17日

ドメスティック・バイオレンス(DV)と聞くと、ふつうは男性が女性を暴力的に支配することをイメージします。

でも意外と、逆のケース(つまり男性の方がやられる側)のご相談があります。

私の相談室のようなところ(個人でひっそり営んでいる)には、周囲にはまさか相談できなくて・・・ということで来られる男性がいらっしゃるのです。


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Aさん(30代男性)は、2人の幼いお子さんと奥様の四人暮らしです。
奥様の態度がひどくなったのは2人目の出産後、とのことでした。

「てめえ」「タコ夫」「そこのクズ」と呼ぶ。
家事、育児への協力が足りない、なっていない、と罵る。
ひとたびキレると、暴言では収まらず、モノを投げる、殴り掛かる、蹴ってくる。
休日に寝ていたら、頭上からいきなり、ペットボトルの水とマヨネーズをブチまけて来たこともあったとか・・・

Aさんは、殴る蹴るは我慢できても、人格否定のような発言や、実家の家族への嫌悪感の表明が、どうにも耐えられない、とおっしゃいました。

あの可愛かった妻はどこへいってしまったんだろう……と。
ごもっともです。



でもAさんは、家族にも友人にも誰にも相談できないと思って努力を続けていたそうです。
自分が頑張れば…、もっと妻の気持ちに寄り添ってあげられれば…と。


Aさんの場合はご実家の理解と協力を得られましたので、「密室を作らないこと」で暫く様子を見てみることになりましたが、それが出来ないケースの方が多いです。

夫の方が別宅を借りるなりして、とりあえず避難をするケースもあるし、
結局どうにもならず離婚裁判を経て離婚にこぎつけるという例も・・・。



被害"男性" も、以前と比べれば少しずつ声を上げることができるようになってきているのかもしれませんが、男性の場合「人に悩みを相談するなど、男らしくない」「女性にやられているなど、恥ずかしくて言えない」というジェンダー的な考えもあるでしょうから、DVを受けていても、なかなか相談窓口を利用するというのには抵抗があるかもしれません。

でも、人に助けを求めることは恥ずかしいことでもなんでもない、むしろその逆です。
「助けてもらう」に抵抗があるなら、「利用する」と考えればよいでしょう。

とにかく、相談先を選んでどんどん相談してほしいです。



それにしても、妻よ。

暴れる妻も苦しいんですよね。きっと頑張っている。

妻も夫も、余裕ある誰かの理解と助けを得ることで、
狭い場所で行き場をなくしている辛い感情は、外に出て行き楽になるんだということ、
カンペキに思い通りにするのは無理でも、そんなふうにやっていけばいいんだということを、知ってほしいと思います。

密室は苦しいです。

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by kktreasure | 2016-09-17 09:15 | カウンセリング | Trackback | Comments(0)

別の人生の記憶? ・・・組紐、五体投地、ヒエログリフ・・・   

2016年 09月 14日

息子サクが 映画『君の名は。』 を観てきてから、「組紐がなぜか気になる」と言います。

主人公の女の子・三葉は、代々神社に仕える家の娘ですが、巫女として、儀式に用いる組紐を作っています。
作品の中で組紐を編んでいくシーンを見て以来、サクは
「どういうわけか組紐が気になって仕方ないんだよなぁ・・・。なんか懐かしいっていうか・・・」
と言うんですね。

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「そういえばサクは、中学校のとき林間学校の授業で作ったと言って持って帰ってきた『編み籠』、なぜかすごく上手だったね」

「もっと小さい頃、母さんが刺繍に使うために置いておいた糸を、勝手に組み合わせてねじねじ上手に編んでしまったことがあるよ」

「こりゃあ、前世で “編んでた” ね!」

と私が言うと、サクも

「間違いない。アミビトしてたんだな」と同意して笑いました。



そういえば私は、以前 チベット仏教の巡礼を扱った舞台を観に行ったとき、巡礼者役の人が聖地を目指して進んでいく動作を見て、ぎょっとしてしまったことがあります。

それは、後で調べたら「五体投地」という礼拝方法だったのですが、そのポーズと動きを私、小さい頃、ひとり遊びの中で繰り返しやっていて、親から「なんなの?その奇妙な動きは・・・」と不審がられていたのです。
すっかり忘れていましたが、その舞台で見た時に「ああああっ!! これだったのかっ!!」と(笑)



私の友人は、あるエジプト関連の展覧会に行ったとき、展示されていたヒエログリフを “なぜか” 読めてしまう自分に気づいて動揺し、一緒にいた私の腕を掴んで「どうしよう、あかりちゃん、スラスラ読めちゃうんだけど・・・」と小声で打ち明けてくるので、可笑しくて吹いてしまった・・・ということがありましたっけ。



別の人生から来る記憶が、何かの刺激で浮上することって、ありますね。
それとわからないことも多いでしょうが。

思い出画像がキラリと光ったり、身体が憶えていたり・・・


そうして喚起される “何か” にしばし浸ってみるのって、ちょっと楽しい 虹



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by kktreasure | 2016-09-14 08:30 | スピリチュアル | Trackback | Comments(0)

自分が自分を産み直す   

2016年 09月 11日

たとえば、あなたの大事なお友達が

悲しみの涙を流していたら、そっと寄り添ったり慰めの言葉をかけたりしますよね。

理不尽な目に遭ったと言って怒ったら、一緒になって怒ったり、場合によっては「敵討ち」をしてやりたいと思うかもしれませんね。

なかなかリスクの高い度胸の要る勝負に出る・・・というときはどうでしょう。

ちょっと心配になってあれこれ言ってしまいそうになるかもしれないけれど、でも、本人の強い思いが伝わって来たら、信じて見ていよう、応援しよう、と思いますよね。


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大事な人には、そんなふうに優しくできるのに、
「自分の心には優しくできない、自分の感情とは仲良くできない」という人は多いです。



「自分の感情と仲良くする」なんて、なんだか難しいですか? 違和感あるでしょうか?

でも、自分の感情を蔑ろにしたり抑圧したりせずに、いつも仲良くしている、というのは、本当に大切なことなのです。

それが、「ありのままの自分でいる」、「幸せでいる」ということだからです。



★ ★ ★ ★ ★ ★ ★



私たちの多くは、小さな子どもの頃から、親や周りの大人に受け入れてもらえるように振る舞います。

共感されたい。
褒められたい。
喜ばれたい。
愛されたい。


共感されなかったこと、拒否されたこと、見捨てられる原因になりそうだと思ったことは、どんどん抑圧していきます。

上手に、目に付かない場所に隠していきます。

そうして大きくなるまでに、かなりの “演技派俳優” になっていくんですね。



でも、上手な演技を長年やり過ぎて、自分の本当の気持ちがわからなくなってしまいました。

どうしましょう・・・

「本当の気持ち」「本当の欲求」がわからなくなってしまった「偽りの自分」で、どうやって幸せになればいいんでしょう・・・


そういえば、

何をしてもつまらない・・・

頑張っても頑張っても充足感は得られない・・・

漠然とした苛立ち、これはどこから来るんだろう・・・

この息苦しさの原因は何なのだろう・・・


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その答えは、日常生活のやりくりが出来ているうちは見えてきませんが、
底をつくような体験をして(お仕事や私生活において、大きな事件が起きた時、既に破綻していることを認めざるを得なくなった時などですね・・・)「もういやっ!」「もう、このままでは無理!」となると、もう誤魔化せない、逃げられない、という直面の仕方をすることになります。

苦しいですがそれは、「陣痛」みたいなものです。
始まったら、覚悟して頑張れば、終わるのです。



だから、もうどうにもうまくいかない、これ以上進めない、という時に、

「もう、これまでのように『偽りの自分』では生きていかれないんだ」

と、内側から来るものを感じたら(←陣痛の始まりです)、

「本当の自分として生きることを始めるために、生きながら生まれ直せばいいんだね」

そう思ってみてほしいと思います、勇気を出して。



この世に赤ちゃんとして生まれてきた時は、お母さんが産んでくれました。

今度は、”自分が自分を産む” んです。


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昨日は、八方塞がりの闇の中でうずくまった後に "陣痛" の時を迎えている女性(40代)がいらっしゃいました。

産婆・郷家、懸命に応援しています クローバー



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by kktreasure | 2016-09-11 08:38 | 心の話 | Trackback | Comments(0)

顔のコリを流してもらう   

2016年 09月 08日

いつもは背面と足裏を中心に受ける整体マッサージですが、昨日はなんとなく「顔」にも疲労が感じられたので、「全身+顔」でお願いしました。

担当セラピストは、若いけど身体のことよくわかっているお姉さん。
お顔(肌、表情)も立ち姿も美しい方なので、信頼しています。


(顔も凝ってる気がするけど、どうだろう・・・)

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予想通り
「お顔の筋肉にお疲れが溜まって、ずいぶん凝ってらっしゃいますね」
とのことでした(^-^;)

よくほぐして流してもらいましたので、スッキリ。

首上の滞りが解け、視界も気分も明るくなりました。



カウンセリングルームへ来られるお客様のエネルギーを拝見していても、
重いものが、眉や額のあたりに、黒っぽい雲のように見えることがあります。

不安とか懸念のエネルギーは、そのあたりに溜まるんですね。

お尋ねしてみると、「じつは眉間がダル重い」、「昨日から頭の前の方が痛い」などとおっしゃいます。



昨日の私は、ここのところ処理できずにいた “気懸かりなこと” が、モヤモヤモヤモヤ、顔に集まってきた感じがしていました。

顔がいつもより固くてダルくて動きにくかった・・・

でも、エネルギーをしっかり見れるセラピストに 上手に身体に触れてもらうことで、スッキリ流してもらうことは可能なんだなぁ・・・と、おかげさまで実感できました。



心の憂さ、重さは、身体からイケる(こともある)。

「敏感に気づいて、早めの手当て」が健やかさを保つコツですね クローバー


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by kktreasure | 2016-09-08 11:55 | 未分類 | Trackback | Comments(0)

信じるのに「証拠」が必要な恋愛   

2016年 09月 05日

恋人を「信じたい」からといって、信じるための根拠にできるもの・・「証拠」が必要、という人がいますね。

スマホを盗み見る。
SNSを細かくチェックする。
GPSつけさせる。
張り込む。
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それって、どうなんでしょうね。

安心したいから必死になる、という気持ちは分かりますけれども、そうなってしまうと、その証拠集めに際限はないはずだし、だいたい、その恋愛って、実は本物じゃないですよね。

始まってないか・・・、終わってる ガーン



そういうレベルにいると、恋愛も、人生も、つまらないんじゃないでしょうかね。

私、過去にも「男は横顔」って記事書いてますが、
人を好きになるのなら、その人が自分を見ている時の真正面の顔じゃなく、前を向いて何かに没頭したり、自分じゃない誰かと関わっている時の「横顔」に惚れましょうよ、と、よく言います。

それを大好きで、それを信頼したいじゃないですか。

こっちばっかり見てる男なんて、気持ち悪いです。

他に何かすることないの?、人生、進めなくていいの?と言いたくなる。

ちゃんと前を向いて自分の人生まじめにやっている人生に忙しい人が、それでも自分を猛烈に求めてくれ、大事にしてくれるのが分かるから、きゅんドキドキ なんじゃないですか?



むかーしむかし、私に惚れてくれた私の惚れた男が、こんなことを言いました。

「俺と一緒にいないときのこととか 過去のこととか、いちいち知らなくていい。知りたいことは訊くけど、どのみち知り尽くせないんだから、信じる、と決めてる」

「それに、誰かといろんなこと体験して、いろんなこと思って考えて、それでいま俺の前にいるわけでしょ? このあなたが最新のあなたでしょ? 俺にはそれが全て」



・・・嬉しかったですね。 生まれてきてよかったって思いました(笑)

そして、それはともかく、
そうか、愛するってそういうことなんだな・・・と。

ちょっと成長させてもらった恋愛だったんじゃないかと思います 黄色い花

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photo by anieto2k



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by kktreasure | 2016-09-05 08:20 | 心の話 | Trackback | Comments(0)

その「幸せ」は「自分に想像できる限界」であるだけかも   

2016年 09月 02日


十代後半や成人後のお子さんの進路についてのご相談を受けていると、
我が身に照らし身につまされながらも、
「それは やりすぎ、過保護がすぎるなぁ」と思うことがあります。



朝ドラ『とと姉ちゃん』にこんなシーンがありました。
主人公・常子の妹、次女の鞠子が結婚した夜、常子のとその母親が語り合う場面です。


常子が母親に

「かか(お母さん)もやはり、私に結婚してほしいですか?」

「私が結婚して巣立っていくのを見届けるまで、安心できませんか?」




それに対して、母親はこう言いました。

「私たちの世代は、そう思う人がほとんどでしょうね。

私もできれば、あなたも美子(三女)も、素敵な方と出会って幸せに暮らしてほしいとは思ってるわ。

でもね、それは、その方が安心だからということじゃなくて、
それは、私に想像できる限界 だからかも。

あなたを見ていると、幸せの形はひとつではないのかな、と思うわ。

結婚しなくても、あなたは十分に一人前です。それは確かよ。」





母親は常子に、自分の結婚してほしいという願いは、それが、自分が想像できる幸せというものの「限界」だからだ、と言っているんですね。

でも、出版社を興して奮闘する娘を見て、それもひとつの幸せの形なんだと思う、と言って、娘を尊重している・・・

素敵なシーンだったので、メモを残してありました。



私たち親というのは、"自分が想像できる限界のこと" を、それが正解のように伝えます。ときに強要します。

もちろん、良かれと思って。幸せを願って。

でもそれは、正解のひとつであるに過ぎないかもしれないし、正解でも真実でもないこともあるでしょう。「自分の知っている幸せの限界」であるだけで。



そのことを認められるようでありたいな、と思います。

そして、いい歳に育った自分の子どもの選んだ道に立って行く手を塞いで、思惑どおりの道へ誘導しようとするのは、いい加減やめなきゃいけないな、と思います。

子どもたちは、我々の知らない考えとやり方で、我々の知らない時代を生きていく人たちです。

埃だらけの古い巻物みたいなものを「これを大事に持っていけ」と押し付けてはいけない。

いつの時代も変わらぬ 親ごころ ではありますが。。。


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by kktreasure | 2016-09-02 08:15 | 子育て | Trackback | Comments(0)