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最期に私の父と話したかった老婦人の話


父がまだ生きていた頃、老人福祉施設の所長をしていた頃の話です。


ある日の夜半過ぎ、父母の家の電話が鳴り、母が出ると年をとった女性の声で
「◯◯と申しますが所長さんはいらっしゃいますか?」、
「もう休んでますが・・・」と母が答えると
「それでは結構です。夜分に失礼しました」と切れたとのことでした。

その人が名乗った「◯◯」という苗字は日本で最も多い名前だったので、朝起きてから電話があった報告を受けた父は、どこの◯◯さんだか分からないと言いつつ出勤していったのですが・・・

その◯◯さんは父の勤める老人福祉センター内にある老人ホームに暮らしていた女性で、明け方、自殺を図って亡くなったとのことで、父が出勤すると、既に職員の通報により警察が来ていたとのことでした。

その老婦人は「子どもは何人かいたものの、同居を拒まれ、ホームで寂しく暮らしていた人」で、所長である私の父をとても慕っていたというのは、後で聞いた話ですが、お婆さん、父に何を言いたかったんだろうか…と思うと辛かったです。


私の父というのは、10歳くらいで養子に出され、養父母の元たくさんの我慢をして育った人で、大変な抑圧を抱えた、生涯、子どものような人でした。
怒りや悲しみをすぐに爆発させる人で、アル中気味で、我が儘で、子どもの頃は、それはそれは恐ろしかったですけれど、大人になってみると、ほんとにしょうもない、可愛い人でした。

でも、子どもっぽくて邪気がなく気が優しい人だったせいか、どこへ行っても年上の人からは可愛がられていました。
勤務先の施設の老人から、しょっちゅう手づくりの何か(浴衣とか編み物とか陶器とか…)をプレゼントされて持って帰ってきたり、ある衆議院議員選挙では、立候補してないのに、ファンのお婆ちゃん4人から「所長さんに投票してきた。4票獲得ね」と報告された話だとかがあったり、人気者のようでした。
退職して、がんに倒れた後も、たくさんの老人が心配して問い合わせてくれたり、お見舞い品を自宅へ持って来てくれたりしました。

その度に、私たち娘3人は
「家ではあんなお父さんだけど、外ではちゃんと仕事をして務めを果たし、喜ばれているのかな…、愛されているのかな…」
と不思議な気持ちになったものでした。


上に書いた老婦人については、これから自殺を図る・・・という時・・・人生の最期に、自分の子どもではなく、私の父の声が聞きたくて(感謝を伝えたかったようです。遺書には父への感謝がたくさん綴られていたとのこと)電話をしてきたわけですが、とても切なかった…

その方の寂しさを思うと涙が出ました。

一方で私は、その方や、そして他の何人かの方から、あの "しょうもない父" は大事に思われていたようだ…と知ったことは、自分にとっては大きな救いになる、そう思いました。


それから・・・

今、私は自分の相談室を持ってお客様のご相談に乗っていますが、
テクニックだとかスキルだとかいうことから離れて、ただ心を砕き、純粋な、祈るような思いだけでそこに居る、というような時には、

何かしら "あの父"(…さんざん苦しめてくれた、一時は酷く嫌悪したあの父)から受け継いでいるものが発動しているのかもしれない・・・

父も私も、大したことは出来ないんだけれど「ただ寄り添っている」ところが似ているかもしれない・・・


そんなふうに思うのでした。



昨晩、父が最後に勤めた老人福祉センターの前を車で通りかかったときに、電話をしてきたお婆さんのことを思い出して、書きました。



最期に私の父と話したかった老婦人の話_a0237268_15155471.jpg

by kktreasure | 2015-02-04 15:11 | 未分類

あなたの物語を大切にするカウンセラー郷家あかりの日常


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