「世界で一番死を恐れているのは現代日本人」??
2016年 08月 12日
お婆様による「お盆」の供養のお話は分かり易くて優しくて、私も つい引き込まれて、聞き耳立ててしまいました(果物選んでるふりしながら・・)。
「果物は丸いものを供えるのよ。昔はスイカが高級で・・・」
「これは 精霊馬 っていってね・・・」
「お花はね、ほんとは蓮の花も供えたいところなの。
蓮のお花は、花びらがお舟の形をしてるでしょう。そのお舟にご先祖様たちは乗ってくるって、おばあちゃんは教わったわね・・・」
そんなお話でした。
「お盆」と言っても、時期も供養の仕方も様々でしょうけれど、こういう行事、習慣がそれぞれに 伝承 されていく、というのはよいものだなぁと思いました。
お婆様のお話を神妙なお顔で聞いていたその女の子は、そんな行事のあるお家で育つことで、「あの世」との関係について、ひとつしっかりと身につけて大人になっていきますね、精霊馬は用意しないかもしれないけど・・・。
「お盆」と言っても、時期も供養の仕方も様々でしょうけれど、こういう行事、習慣がそれぞれに 伝承 されていく、というのはよいものだなぁと思いました。
その女の子はお婆様のお話を神妙なお顔で聞いていましたが、そんなお婆様のいるお家で育つことで、「あの世」との関わり方について、ひとつしっかりと身につけて大人になっていきますね、精霊馬は用意しないかもしれないけど・・・。
カール・ベッカーというアメリカの宗教学者が、
「世界で一番死を恐れているのが現代日本人ではないか」
と著書で言っているのを思い出しました。
「あの世や次の人生(来世)に対する信仰が薄い」ことを理由に挙げていましたが、なるほど、そうかもしれないと思いました。
日本人にいちばん多いのは、特定の宗教の信仰はなく、でも、なんとなく八百万の神様は信じている・・・という人でしょうか。
ごちゃ混ぜな宗教行事を取り入れて暮らしている人も多いでしょうね。
でも、何か信仰はありますか?と尋ねたら、「無宗教です」という人が多いんじゃないでしょうか。
また、核家族で生まれ育ち、家族が死ぬ場所は病院・・・という、死を身近に感じることが少ない私たちは、「人が死ぬ」ことを "遠いこと" "無関係なもの" にして生きがちですね。
「あの世」や「来世」についてはどうでしょう。
漠然と信じている人もいるでしょうし、信じていない人もいるでしょうし、そもそも、そんなこと考えたこともない、興味がない、という人もいるでしょう。
でも、「あの世」も「来世」もない、人生を終えたら塵になる、無になる、と思って生きている人が、たとえば、あるとき重病に罹り「残念ながらあなたは助からない。余命は〇か月でしょう」と言われたら、どうでしょうか・・・
酷く動揺し狼狽え、自分はなんて不幸なんだろう、と思うのでは?と思います。
「死に続く生」を 信じていない人にとっては、死は "一巻の終わり" であり、恐怖でしかないでしょうから・・・
死を身近なものとして捉え、「限られた時間を自分はどう生きようか」と繰り返し問いかけ、自分なりの死生観、宗教観を培っていくことは、とても大事なことなのではないかと思います。
たとえば「お盆」のような行事のある時は、「生」の "ヘリっこ" のこと、 "あちら側" のこと、ひとつの人生の "その先" のことを考えてみたり、自分のルーツに思いを馳せ「根っこ」を確認し、いま目の前にいない人たちとの繋がりを想う機会にできるとよいなぁと思います。