アラフィフ主婦、「夢も目標も持てないことが辛い」
2016年 08月 21日
前にも書きましたが、今のアラフィフ世代は、
「OL時代は、お茶くみ、コピー取り、ワープロ清書。結婚したら寿退社」・・・そういう女性の多い時代だったのです。
そういう方が、子どもが大きくなった、やっとひと息つけた、というタイミングで
「あら? 私はこれから何を目標に、何を目的に、生きていったらいいんだろう・・・」
と、いきなり暗闇を感じ、途方に暮れ、足掻くも何も掴めず、
「これからでも、夢や目標を持ってイキイキと過ごせるようになりたいのです」
ということで、ご相談にみえる。
・・・そういうことが度々あります。
今さら、何か夢や目標・・・と言っても、これだ!と情熱を傾けられるようなものがない。
でも、これから先、忍び寄る老いと、今さら特に話もない夫(!)と、どう向き合っていけばいいのだろう・・・と。
なかには優秀な方もいて、若い人でも取得の難しい資格試験に合格して、再就職も果たし、夢いっぱいのはずだったのに、数か月で「ちがう。こういうことじゃなかった」と気づいてしまった、というケースも・・・。
「夢や目標」・・・これは "持った方がいい" と子どもの頃から教わってきましたし、確かに、無いよりはあった方がいいでしょう。
でも、必ずしも・・・だと思うのですね。
周囲を見たら、"同世代だって社会で頑張って輝いてるのに私ときたら・・・" などと思って、焦り、苛立ってしまうこともあるかもしれません。
でも、他人基準、世のなか基準の目標を、自分も採用して真似ることはない と思うのです。
そういうものに踊らされたり惑わされたりする必要なんてなくて、
歩まなかった道を歩いていたら私だってこういう人になれていたかもしれないのに・・・なんてことも考えても仕方がなくて、
ただただ、本当の自分の自由意思に照らしながら、日々の暮らしを、自分が心地よく感じるものに、自分のハートがワクワクするものに、創り続けていくことを怠らないこと
ですよね。
苦労した過去に身につけた “もはや要らない習慣” や、漠然とした将来の不安に力を奪われてしまい、「動けません」とおっしゃる方も少なくありません。
でもそれは、いま現在この瞬間にしっかり存在していない、必死に考えてはいるかもしれないけれど、実は(肉体的な活動としては)楽しいことを何もしていない、ということで、
それは・・・、その状況 だけ は、なんとかしなくちゃならないでしょう。
他人(夫とか舅姑とか子どもとか近所の誰それとか・・・)にエネルギーを奪われてしまっている、ずっと犠牲になって来た、という 被害者意識 も返上したいですね。
そのように思っていると、そう思っている限り、その通り、”奪われ” 続けるでしょう。
「一日一生」という言葉がありますが、毎日の暮らしをいかに大切にし、いかに注げるか、です。
人によりますが、立派な長期計画や目標を掲げる、というやり方からは、卒業してしまってOKかも。
自分の生活、自分の人生のために、自分のパワーを使っていく、と決め、
日々のささやかなことの中にある幸せに気づけるようになりたいですね。
そうすると、嬉しいシンクロもたくさん起こり始め、「これでいいんだ♪」の手応えを得られると思います。
シンクロって、今この瞬間にちゃんと存在していて魂の予定と合致しているときに起きる、「いいね!その調子!」という宇宙からのメッセージともいえる現象だからです。
まずは そこからです、何かを目指す、というよりも ★