「わたしは暴力を受けても平気」…そんなはずは ない
2018年 03月 28日
お客様が、親から殴られて育ったという話をしている中で、
「だから私は今でも、誰かからの暴力が平気で…」
とおっしゃいました。
でも、「平気」なはずはない、大きな傷を受けていないはずはない。
昔から今までずっと「平気」だったというなら、そこには強い抑圧があるはずだし、相当な麻痺があるんでしょう…という話になりました。
私自身の話ですが、
私も小さい頃から思春期まで、日常的に親から叩かれたり殴られたりしていましたから、それはもう、上手に殴られる体勢とか、相手の怒りをかわしたり鎮めたりするコツとか、とにかく凌いで過ごすための知恵(意識飛ばし)とか…、たくさんのことを身につけました。
だから、中学校での部活での体罰(…今どきあり得ません、動画が流出して大問題になるレベルのものです。腫れ上がるくらい流血するくらい ぶん殴られても「ありがとうございました!」と言う、とか、どうかしてる世界でした)も、
大学時代にパブでホステスのバイトをしていたときの、泥酔した人の滅茶苦茶な行動とか、暴力団の人同士の争いが起きちゃったときとか、同僚の子たちはみんな逃げちゃうか泣いちゃうか…そういう ものすごい暴力的な場面に遭遇した際も、
私は "平気" でした。
この場面はどう対処して切り抜けようかな、どうやったら収まるのかな、と冷静に考えられる娘でした。
「肝が据わってるね」とよく言われました。
でも考えてみたら、そういう、肉体や心に対しての暴力的な行為が「平気」「大丈夫」であるはずはなくて、
平気だと感じるのは、目に見えない盾や鎧や、柔らかい心を格納しておく容れ物が、とてつもなく頑丈だったからだし、そういうものを使いこなす "匠の技" を身につけているから…なんですよね、本当は。
で、当然、そういうふうに生きて来た影響というのは大きいですね。
人によりますが、その頑丈な盾や鎧を常態として人と接したり(他人に共感しづらいから「冷たい人」とか言われますね)、その武装に気づいて脱がしてくれる人を探しては しがみつくことをしたり、DVの被害者となることを無意識に選んで繰り返したり(だって殴られても平気なサンドバッグとして存在することで相手のストロークを受け続けられますから、存在不安から逃れられます)……
いずれにしても、人や世の中を信じられないまま、自分の孤独な震えを隠しながら、すごく不自由に生きていくことになりがちです。
上のお客様とは、
私たちは今では、あれ(親の暴力)はおかしかった、ダメだった、とキッパリ思えるようになり、そこから来る後遺症にも気づき、それを癒すことの必要性も知りました。
だから「嵐みたいな小さい頃を凌いでサバイブできて、よかったよかった」というレベルで終わらせちゃあ、もったいない。
そこからですよね、あの時期のことは、自分という人間の物語の本筋のところに続く序章のところの話として受け入れた上で、しっかり手当てをして、これからの人生は幸せなものにしていきましょうね、
と話をしました。
誰かじゃなくて自分が、頑張って耐えてくれてた子ども時代の自分を、癒して元気にしてあげねば。
長らく放置してきたインナーチャイルドは
怯え震えてるか、泣いてるか、怒ってるか、いじけてるか、無表情で無感情で固まってるか…
あなたのインナーチャイルドは、どんな様子でしょうか。
インナーチャイルドが元気になってくれなくちゃ、人生ままならないです。
ピンと来た方は、相談室をお訪ねください