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"村の長老" みたいな少年を見ました   

2017年 09月 28日

電車に乗っていたら、中学生の団体が乗ってきました。

揃いのジャージ姿。


ドアが開くなり "凄い音量でお喋りする集団" が うわーーっと押し寄せて来た感じで、

「うーむ参ったなぁ、今日はイヤホン持ってないや・・・やられた」と、猛獣の檻の中にいるみたいになることを覚悟しました。


やれやれ・・・と思いつつ集団に目をやったら、

一人、なんというかハッキリ輝く安定したオーラの男の子がいて、大人っぽいな、先生かと思ったら生徒だわ・・・と思ったのですが、


その少年、さほど大きな声ではなかったんですがキッパリと、でも穏やかに、


「電車の中で騒がない。俺たちだけが乗ってる電車じゃないんだよ」

「降りるまで静かにして」

「(大きなリュックが他の乗客の邪魔になってる子に向かって) リュック。 背中のリュックまでが自分だよ? 気をつけて」


そう言ったんですね。



あらーーー 笑 キラキラ



その静かな言葉はたちまち20人ほどの集団に波及して、喧しいお喋りはすーーっと止みました。




その子は、その集団の中で明らかに「リーダーキラキラ♪」でした。

実際に学級委員とか部長とかキャプテンとかの職を務めてるかどうかは別として。


格が違う感じでした星




どんな群れにもリーダーはいますが、真のリーダーがいてくれる集団は幸いです。

未熟で混沌とした状態 台風 になっている集団の中に一人、精神的に抜きんでていて心が平和な人がいると、その集団はまとまって、自然と発展していきます。家庭でも、会社でも。

静かに穏やかに、そのエネルギーによって、そのエネルギーそのもので、皆の成長を促しちゃうんですね。



・・・と、そんなことを思いながら感心して眺めた、

"中学生にして 村の長老 " みたいな少年でした お茶



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by kktreasure | 2017-09-28 11:46 | 未分類 | Trackback | Comments(0)

「好き」と「嫌い」は 同じこと   

2017年 09月 25日

大学時代のことですが、心理学の授業で先生が、何十枚もある様々なお花のカードの中から1枚を選ばせて、その人の心理的な課題を言い当てる・・・みたいなことを、ちょっとした遊びとして、やってくれたことがありました。


学生はそれぞれ引かせてもらっては「当たってる!」「なぜ分かるんだろう・・・」と大いに盛り上がったのですが、その時に先生は、こんなことを言ったんですね。



「選ぶのは、好きな花でも嫌いだと思う花でもOKだよ」


「どちらも同じことだから」



・・・「好き」と「嫌い」が同じこと? まさか!真逆でしょう?


私を含め皆がそう言いました、意味が解らなくて。



今は分かりますけどね、「好き」と「嫌い」は同じ、の意味。




  ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★




誰かのことを「嫌い」だと思うときがありますね。

「どうでもいい」でも「興味ないなぁ」でもなくて、「嫌い!」。


それってたとえば、


・自分なら やらないことを 平気でやってのけている

・自分が持っていないものを 持っている

・自分が無意識に抑圧しているものを 見せてくる


だから「嫌い」。


・・・ということであったりします。




でもそれはおもしろくて、


・自分には無理なことを実現していて凄いと思う

・自分にない部分が羨ましい

・ほんとは自分も似たところがある、隠してるけど


って、「好き」にひっくり返りかねないところ だったりするのです。




誰かの何かを「嫌い!」と思ってしまったときは、

どうして自分はそれを「嫌い」だと思うのか、

「好き」と思ってしまうとどんな不都合、不具合があるのか、

そういうことを静かに考えてみるといいです。


「嫌い!」で お終いにせず。




人が「嫌い」と言うとき、その要素は必ず、自分の中にあります。

(自分の中になければ、カスりもせず、気づかぬうちに通り過ぎていくはず。)


「好き」あるいは「嫌い」。

それはどちらであっても、自分の心を知る手掛かりになります。

自分がどうありたいのか、どうなっていきたいのかを 教えてくれます。

そういう点で、同じなのですクローバー



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by kktreasure | 2017-09-25 11:46 | 心の話 | Trackback | Comments(0)

「小さな選択」から練習する   

2017年 09月 22日

ある大きな選択を前に足がすくんでしまう、

怖くて、どうにも決められない、

というご相談があります。


大きな選択。。。

それは、" 突然 降って湧いた問題と選択肢 " である場合もあるでしょうが、

大抵は、そこへ至るプロセスで小さな選択を幾つもしているはずで

「いきなり大きな選択をしろと言われても無理 ショック! 」ということは、本当は、ないはずなんです。


これは、

意識的に、決断し、選択する、ということを、それまで やってきていない、

その人の中では「自分で決めた覚えがない」「あの時は成り行きで選んだだけ」ということになっている、

ということかもしれません・・・




でも、人生は選択、選択、選択・・・、選択の連続です。


まずは

「目の前にある小さな選択を、"自分の選択" として "意識的に" 行う」

ことから練習するとよいと思います。




無意識に適当に選びそうになったら、そのことに気づいて、しっかり自分で選ぶんです。


・今日の朝食には、白飯を食べるのか、パンを食べるのか。


・赤い服を着て出掛けるのか、青い服にするか。


・週末は、誘われているパーティーに行くのか、それとも、それは断って 家で本を読むのか。


そんなことから・・・。




大げさなようですけど、


必ず、自分に訊く。 

そして、自分のハートが喜ぶ方を選ぶ。


そういうクセを、しつこくつけていくんです。




そういう練習を怠らず続けていくと、"筋力"腕。 って、ちゃんとつきます。


そうしたら、

大きな決断を前に、怯んだり、誰かに依存したりする、ってことは、なくなります。




自分の望むもの、望むことを、ちゃんと知っていて選択できる人。

自分の喜びを表現できる人。

そんな人になりたいですね。


・・・「小さな選択」から、たくさん練習しましょう 星




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by kktreasure | 2017-09-22 11:57 | 心の話 | Trackback | Comments(0)

気づいてしまったら行動しなきゃいけない。だから自分に嘘をつく。   

2017年 09月 19日

私たちは、他人にも嘘をつきますが、自分にも嘘をつきますね。

なかなか巧妙に騙します。


不安の中身に直面したくない時とか

面倒なことや恐ろしいことになるのを回避したい時とか。




防衛機制としての「否認」「合理化」です。


「怖い」というのは最強。

だから、人はそれを必死に回避して身を守ろうとします。

すごい力を使って 現に起きていることを "認めない" "納得させる" ということをするわけです。




たとえば、

大学に通っているが、学んでいる学問には既に何の情熱も持てなくなっている。

でも、ここで退学しても就職が難しいだろうと思う。親にも申し訳ない。


すると、

もう学びたくない、大学を辞めたい、という気持ちを、無かったことにします


語り合える友人を作れば、学ぶ楽しさを得られるんじゃないか、

努力を続けていけば面白くなる時が来るんじゃないか・・・


そう考えるようにして。



また、たとえば、

既に夫婦関係が破綻していて、やりようがないと感じている。

でも、離婚は怖い。


すると、破綻している、という事実に気づいていないことにします


どこの夫婦にだっていろいろある、こんなものだろう、

なんだかんだで共に老いていけば、別れずにきて良かったと思える日が来るかもしれない・・・


そんなふうに思い込んて。




もちろん、イヤイヤでも大学を卒業して良かった、ということもあるでしょう。

仮面夫婦だろうがなんだろうが、離婚せずに一生を終える、というのもアリかもしれない。

何らかの産物はありますから。




でも、「自分の意思」を見失ったまま生きていっても仕方がない。もったいない。




だから、


自分に嘘をつき、自分を欺き続けて

(=私は〈私〉として生きたい、という意思を放置したまま)

何処へ行こうとしてるんだろう・・・

それでいい、と 堂々と自分に言えるんだろうか・・・


そんな問いが、ちょっとでも心をよぎったなら、

勇気を出してそちらの声に耳を傾けてほしい、そして行動してほしいと思います。




人生、"やり過ごす" ために あるんじゃないですよね kosumosu☆☆




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by kktreasure | 2017-09-19 11:53 | 心の話 | Trackback | Comments(0)

指揮者・西本智実さんの脳内トリップ   

2017年 09月 16日

何日か前、朝テレビをつけたら、指揮者・西本智実さんがご自宅で取材を受けている様子が映っていました。

ご自宅公開は初、とのこと。

Tシャツにパンツというラフな家着姿も新鮮でした。



西本智実さん、「男装の麗人」などと言われる美しい方ですが、

ロシアで学び、アメリカ、アジア…と活動の幅を広げ、クラッシックファンの裾野を広げてらっしゃる、世界でも珍しい女性指揮者です。



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(※画像、お借りしました)


私は随分前に一度だけ、誘われて友人と出掛けた演奏会で、彼女の指揮を生で見たことがあります。


峻烈で優雅で、すっかり魅了されました。


カリスマって、こういうことか・・・という衝撃も受けましたし、

「この人は、音楽を神様に捧げているようだ」と感じました。


後に、彼女の率いるオーケストラが、アジアで初めて「ヴァチカン国際音楽祭」に正式招聘されて演奏し、喝采を浴びた、ということをニュースで知った時は、ひどく納得したものです。




その西本智実さんのご自宅での様子をテレビで紹介していたので、つい見入ってしまったのですが、

番組では、西村さんのオフの日の過ごし方を紹介していました。


宝石紫 駅などに置いてある旅行のパンフレットを貰ってきて眺める

(そこへ行っている気分に浸るために、ヒグラシと小川の音 をスマホで流し、「いま自分は、ちょっと行ったら大好きな温泉がある森の中にいる」などと妄想するんだそうですはーと


そのほか、


宝石紫 万華鏡を覗く

宝石紫 蜜蝋のロウソクの炎を眺める

宝石紫 パリの街並みとそこに居る人たちのミニチュアの人形を配置換えして対話させたりする


という、"妄想系 "の趣味 を披露していました。




私はその趣味、すごくいいなぁ、素敵だなぁ、さすがだなぁと思って見ていたのですが、

取材していた若い女性スタッフは「理解していない」感じでしたし、VTRのナレーションも、面白く伝えようとする意図なのか茶化しているふうで、ちょっと残念な気持ちになりました。


「西本さん、お疲れのようです・・・」

とか、

「西本さん、やっぱりお疲れなのでしょうか・・・」

とか、

いちいち「お疲れ?」「お疲れ?」って、そんなナレーションを挟むのは、なんかお粗末だし失礼だなぁ、と。朝の情報番組だから、軽い調子は仕方ないか・・・




彼女の、あれだけのバイタリティ、クリエイティビティ、リーダーシップを想えば、

そうやって 心身を休ませ、パワーを集め、意識を拡大させたり、新たな場所にアクセスしたりしている のは当然だろうなぁ、と納得しました。

やはり凄い才能を発揮している人というのは、それぞれのスタイルの瞑想をしているものだなぁ、とも。


指揮者って、タテに何十段にもなってる楽譜を見て、その音楽を聴く人ですよね。

オーケストラを率いて、楽譜に描かれた音符から自分だけの世界を作っていく・・・

そういうことをする人の妄想、脳内トリップは、スケールも豊かさも違うんだろうと思います思う



西本さんのご先祖は、長崎平戸の生月島で暮らした隠れキリシタンだったのだそうですね。
「祖先たちが導いて下さっているようにも感じている」、
「今を生きる多くの方々と一緒に音楽を通じて祈りを捧げたい」
という彼女は、今後どんな活動をしていくでしょう・・・きらきら


私も今夜は独り、目を閉じてトリップしたいと思います。
プレーヤーから流す音は、清流の音か、波音か、夜の森の音か・・・ 星



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by kktreasure | 2017-09-16 11:55 | 映画、テレビ、芸術 | Trackback | Comments(0)

「どなた様もおいでください」は やめました   

2017年 09月 13日

相談室を始めたころ私は、どんなお客様もお受けしようと思っていました。


連絡をくださる方は皆さん、困り事、悩みごとを抱えるなか、星の数ほどあるカウンセリングルームの中から私の相談室を選んで連絡して来てくださったのだし、
お客様がたくさんいらっしゃるのは、売り上げる、という意味でも有難いし…と。

でも今はもう、"どなた様もおいで下さい"、"何でもお聴きします、頑張らせてもらいます" というスタンスでいるのはやめました。

別に、ホームページに書いたとかではなく、そう決めて、宇宙に宣言しただけですが。



「私はこういう活動をしたいです。サポートしてください」と宇宙に放つオーダー。

これは本当に面白いです。
しっかり願えばしっかり叶う。



"どなた様も…" と言っていた時は本当に、"私にとっての困った方" "ひどく疲弊させられてしまう方" もたくさんいらっしゃいました。

嘘みたいなネタ(直るとは思えない性癖の話とか…)に面喰らわされたり、
ひたすら、「今ごろ若い女のところに行っているに違いない旦那」の悪口を喋り続ける人にうんざりさせられたり、
「至急、今日明日にでもカウンセリングしてください!」『もう死んでしまいそうに苦しいんです」というメールに、それは早くなんとかしてあげねば!…と少々無理をして時間を作って待つも、ドタキャンどころか連絡なしのキャンセルをされる…という目に遭ったり…

そんな感じでした。



次第に、あぁ "どなた様もおいでください" はダメだな、姿勢をハッキリ変えなくちゃいけないんだ、ということが分かって、もうこれまでのように "相談室のドア" を開けておくのはやめよう、との決意に至りました。

何を偉そうに、と思われるかもしれません。
あなたは支援をする側であって、選ぶのは客の方でしょ? と言われるかもしれません。

でも私は、自分が出会っていくお客様を選ぼう、と思いました。
その方が双方にとって良いことですから。

私は私のお客様と仕事をする。
私には難しいお客様は誰かほかのカウンセラーが出会う。
そういう良い出会いが、そこここにたくさん生まれればいい。

・・・そんなふうに思うことを、自分に許可したんですね。



今は、「変わりたい」、「変わってステージを上げて新しい自分を生きたい」というお客様ばかりになりました。
真にスピリチュアルに生きたい、喜びの多い人生を創っていきたい、と願う人に、希望の星を見てもらうような、そんなセッションが増えました。

もちろん、初めからそんな意識でいらっしゃる方は少ないです。現実問題が苦しくていらっしゃる。
でも、変化したいんだ、感動や成長を望んでいるんだ、という深いところの意思が、ちゃんと私に伝わる方ばかりです。



私の投げた宇宙へのオーダーに、上がちゃんと応えてくれていることがわかるご縁をいただいています。

これからも、たゆまぬ努力で精進していきます。
どうぞよろしくお願いします花



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by kktreasure | 2017-09-13 12:11 | カウンセリング | Trackback | Comments(0)

つまり、何も話してはいない・・・   

2017年 09月 10日

漫才コンビ、パンクブーブーのネタにこんなのがありました。


ボケ担当の人が言います。


この間、コンビニで立ち読みをしてる時に

若い兄ちゃんが万引きしてるのに出くわしたんだ。


だから俺は、


「おい!何やってんだ!」

って言うタイミングを窺ってたら(・・・窺ってただけ。言ったわけじゃない汗


その兄ちゃんが

「てめー!さっきから何ジロジロ見てんだよ!」

っていう表情を浮かべてきた(・・・表情を浮かべただけ。言ったわけじゃない汗


だから俺は

「ここで俺がやらなきゃ誰がやる?」っていうタイトルの本を棚に戻して(・・・本のタイトル・・・汗


「おい兄ちゃん、万引きってのは立派な犯罪なんだよ!」

って言おうとしたその時に・・・(やっぱり言ってない・・・汗


・・・と、そんなふうに、

結局どれひとつ、実際に言ったわけでも言われたわけでもない、自分の頭の中でのやりとりでしかない話だった、というところで笑わせるネタでした。




お客様のお話を伺っていても、「ん??」と引っかかって尋ね、ズッコケることがあります。

たとえば…

「主人は、こっちが体を心配していろいろと忠告しても、『自分の体は自分がわかってる』って言って聴く耳持ってくれません、きっと

とか

「私の彼は、人の気持ちなんて考えない人だから、状況を説明したところで興味持ってくれないし、どうせ、そんなもん解らないよって言います」

とか

「息子の意思ですよ、中学受験は。いつも地元の公立校のレベルの低さは親子でうんざりしてましたから、私立へ行きたい はず なんです」

とか・・・。

・・・これらはみんな、私が

「それはご本人にお話ししたことなんですか?」
「それは、ほんとにご本人の言葉なんですか?」

と訊くと、

「そうじゃないですけど、でも・・・」

と言うんですね。

つまり、何も、話してはいない・・・ 冷



大事な人との大事な案件。

ちゃんとお話ししましょう、「たぶん」とか「どうせ」とか言わないで 星



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by kktreasure | 2017-09-10 12:05 | 心の話 | Trackback | Comments(0)

透明なタマゴを意識する   

2017年 09月 07日

お客様とお会いしているとき私は、

その方のお顔を見るのと同じくらい、その方のエネルギー、オーラの状態を見ています。


その "カタチ" 、その "ヘリっこの状態" 。

大きいな、小ぢんまりだな、
滑らかだな、ギザギザだな、
あら、穴ボコが空いてるところがあるな…

などなど。



お話を伺うと、「お困り事やお悩み事の理由が、ちゃんとオーラの形や縁の状態に表れている」と感じることも多いです。

この方は、膜の厚い、狭いタマゴのなかにいるから、変化を起こせないのだな。

この方はオーラを広げすぎていて他者との境界が甘い、つまり無遠慮に他人の敷地に介入してしてしまうから、トラブルを起こしてしまうのだな。

…と、そういうことがわかります。


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いつも他人に振り回され疲れてしまう、
嫌なことを嫌と言えない、
強引な人に押し切られてしまう、

という人も、

逆に、

自分の言いたいことを気の済むまで言わないと気が済まない、
人の意見を黙って聞けない、
お節介ばかりして鬱陶しがられる、

という人も、どちらも、

私たちは皆、それぞれの透明なタマゴの中にいる
(各々エネルギーフィールドを持っている)

ということを意識してみるとよいです。



そんなことを意識して付き合うなんて、寂しいと感じるでしょうか・・・

でも、自分と相手のエネルギー領域を大事にしない健全な人間関係、というのはありえません。

これは、親友でも恋人でも配偶者でも親でも子でも…です。



ズカズカと、侵入、介入してはいけない。

逆に、距離を取り過ぎても、交流は難しい。

透明なタマゴを意識して、温かく気持ちの良い関係の維持をclover*、と思います。



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by kktreasure | 2017-09-07 11:51 | スピリチュアル | Trackback | Comments(0)

部屋の中、頭の中。   

2017年 09月 04日

我が家(二世帯住宅)の階下に一人で住んでいる母(81歳)。

数年前から認知症の症状が出始めました。

まだ身の回りのことは自分で出来ていますし、習い事やお友達づきあいで出掛けることもしていますので、

私たち子世帯は基本的には世話をせずに見守りながら暮らしていますが、

近ごろの記憶力の低下は、えっ!?冗談でしょう?とタマげるレベルになってきました。

(今のレベルで踏みとどまってほしいけど、どうなんだろう・・・。心構えはできていますが・・・)


「物盗られ妄想」というのも始まりました。

これは認知症初期に起こる一般的なもので…とは思ってみるのですが、

やはり、そんなふうに思い込んで金品をどこかにせっせと仕舞い込む・・・という心の動きと行動には、なんともやりきれない気持ちになります。




また、かつては働き者で几帳面だった母の、物の片付けが徐々に難しくなっているさまを観察していると思うのですが(片付けは一生懸命しているのですが、分類仕分けがめちゃくちゃになってきました・・・)、


つくづく、


部屋というのはその人の頭の中を表している。

部屋を見ればその人の頭の中がわかるものだ。


は、本当だなぁと実感します。




幾つもある部屋や、広い納戸や、大きな冷蔵庫・・・

それらをかつて母は、よく動き回って管理し、使いこなしていました。


でももう、その大半は もう殆んど "息をしていません"。


今、母が管理出来ているのは、大体の時間を過ごしている居間の、小さな座卓(90cm四方)の上だけです。


ちょうどいい大きさが、90cm×90cm ・・・


「機能している家の面積」と「機能している母の頭脳」。

その縮小されっぷりは、比例しているんだなぁと思います。


きっともう使われることはなく、存在はするんだけど機能しない場所、

それが徐々に増えていく・・・


・・・ちょっと気持ちがひんやりします。




☆ ☆ ☆ ☆ ☆




この、スマホで見守るシステム(Panasonic)を使ってみることにしました。

家の内外の様子を、スマホを使って見ることができます。

呼びかけて話をすることもできます。

あ、猫が通りかかったら、その様子もわかるワ、嬉しい



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すごい時代だなぁ。スマホで、ね・・・IS03 矢印 家*

これで少し母も私たちも安心できれば、と思います







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by kktreasure | 2017-09-04 11:48 | 未分類 | Trackback | Comments(0)

生地のど真ん中にクッキーの型を当てたい欲求   

2017年 09月 01日



型抜きして作るクッキーってありますよね。


こういうやつ。



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子どもが小さい頃、よく一緒に作ったものですが、自分自身が子どもだった頃にも、何回か妹たちと作らせてもらった記憶があります。


私は3姉妹の長女なのですが、そういう時ってやっぱり、のして広げたクッキー生地にいち早く型を当てて星だのハートだののクッキー型を抜くのは妹です。


ど真ん中にヨイショ、もう一つヨイショ。


・・・で、やりたがる妹たちに譲ってるうちに、いざ自分の持ってる型を当てようと思った時には、もう既にくり抜かれてる生地の隙間は十分な大きさではなくて、ちょっと欠けたりして・・・


また生地を丸めて伸ばせばいいわけなんですけど、

なんか、いつも、「あ~あ・・・」って。


これ、この間テレビの子供番組でクッキーを作っているシーンを見て、ふと思い出したことです。




私は、いつでも、何にせよ、誰かと居たら、誰かに譲ってしまう気がする。


まだ一つも穴の開いていないクッキー生地の好きな所に型を当てていいんだってことが、どうもわかっていない(笑)


たまにはやってみようかな。

いち早く、いい場所に、ポンと穴を開けてみる・・・、そういうこと。


「私は余ったところでいいです」「余らなかったらそれはそれでいいです」って、

そういうの、もうやめようかな。



今さらやってきた、心境の変化です星



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by kktreasure | 2017-09-01 11:53 | 私の話 | Trackback | Comments(0)